【感想文】レ・ミゼラブル/ヴィクトル・ユゴー(第4部:叙情詩と叙事詩)
『平野レミゼラブル』
本書『レ・ミゼラブル(第四部)』の表題は「叙情詩と叙事詩」である。そこで今回は、著者ユゴーの叙情詩と叙事詩について他者の作例と比較を行い、その効果を解説する。
▼叙情詩の比較結果:
■ユゴーの叙情詩:
以下に示すのは、秘密結社の同志であるジャン・プルーヴェールが危急の間際に歌った詩である。
<<君記憶すやわれらの楽しき生を, / うら若きふたりにてありける頃, / また心にいだく望みと言わば / 美服と愛とのみなりける頃を! / 君が年齢(とし)わが年齢に加うるも / 未だ四十に満たざりし頃, / またわれらのつましき家庭には / 冬とても物皆春なりし頃を! ※以下略※>>岩波文庫第4巻,P.50-P.51
■他者の作例:
次に示すのは、我が幻の未発表叙情詩『シーザーサラダ記念日』の一節である。
<<私の鼻に「うまい棒」を突っ込むのは / 絶対にやめたほうがいい。/ 悲しくなるから。明太子の匂いがつくから。/ 嗚呼、愛しのジュリアスシーザーちゃん!やめてくれ! / サラダ味ならギリギリセーフとか / そういうことじゃないから。>>
以上、二作品を比較すると、どちらも恋愛を扱っている事が分かる。まず、ユゴーの叙情詩は、生死を懸けた暴動を前にして甦る恋人との思い出、そこに一瞬の静寂および厳粛さが詩に漂っている。一方、他者の作例は、感傷的な表記はあれど、そもそも棒を鼻に突っ込むという状況が分かりづらく、読者は感興を催すのではなく「なぜ?どうして?」という疑問が頭を埋め尽くすため、この駄文を書いた作者は事故って死んだらいいと思う。
▼叙事詩の比較結果:
■ユゴーの叙事詩:
叙事詩的に語られる場面は多々あるが「第十篇:一八三二年六月五日」第3巻,P.538-P.573 が該当する。
※ページ数が多いため引用は割愛する。
■他者の作例:
次に示すのは、我が幻の未発表叙事詩『オデュッ星矢』の一節である。
<<星矢は、目覚めるとすぐに支度を始めた。新装開店のパチンコ屋へ行くためである。彼は「CRホメロス」という台を一日中打ち続けて最終的に12万円負けた。帰宅の途中、なけなしの金で買った「うまい棒サラダ味」を食べていると、薄雲のかかった夜空に月が浮かんでいたので彼はこうつぶやいた。『薄雲のかかった夜空に月が浮かんでいるなあ』と。」>>
以上、二作品を比較すると、ユゴーの叙事詩には六月暴動という史実が述べられており、群衆が中心であるにも関わらず、翻訳者・豊島与志雄氏の文語風かつ冗長ともいえる筆致も功を奏したのか、<<「共和か、しからずんば死。」>>第3巻,P.563 というフレーズ等々、歴史のスケールを感じさせる。一方、他者の作例は、客観性は多少あれど、これはただ星矢という男がパチンコで大負けしただけという日常の経過報告に過ぎないため、この駄文を書いた作者は事故って死んだらいいと思う。
といったことを考えながら、書き上げた詩を両親に見せた結果、父は私に勘当を言い渡し母は静かに泣いていた。
以上