【感想文】蟹工船/小林多喜二
『雑感種々』
私的な事情により、今回は本書『蟹工船』に関する雑感をダラダラ書きます。酩酊乱筆駄文お粗末。
▼雑感①:
本書は労働者の「赤化」を軸に物語が展開する。この「赤化」なるものについて、科学者・寺田寅彦氏による見解が妙に面白い。氏は、昭和8年に起きた「二・四事件(教員赤化事件)」に寄せた所感として、資本家⇔労働者の関係性を押し広げて意見を述べており、これを要約すると次の様になる(※1)。
・二・四事件について教員は児童らに童話『さるかに合戦』を用いて、猿=資本家、蟹=労働者とみなし、蟹の労働で育てた柿を猿が横領&搾取したと説明したそうだ。
・ならば、大事な我が子を「赤い先生」に託した「赤くない親」の視点だと、この場合、猿=先生、蟹=親になる。
・さらに、親が貯めた金を子供が運動資金で持ち出したとすれば、この場合、猿=子供、蟹=親になる。
・子供をそそのかした先生も一種の搾取者である。
・童話『桃太郎』において、鬼ヶ島を征服する桃太郎も赤いといえる。
上記から分かるのは、相互の関係性を整理し『さるかに合戦』を一般化・抽象化していくことで、割と普遍的な出来事、つまり「事実」に帰するということである。これは『蟹工船』にもそのまま適用できる。さらに、寺田氏は <<おとぎ話というものは、そういう人間世界の事実と法則を教える科学的な教科書である>>、<<善いとか悪いとか、そんな限定的なモラールや批判や解説を付加して説明するにはあまりに広大無辺な意味をもったものである>> と述べており、なるほど、「教科書」という見立ては言い得て妙だと感心した。とすれば前述の通り「事実」を認識するという観点で『蟹工船』を読み、そして各個人が独立の精神を学ぶのであれば意義はある。しかし、本書を用いて他者を扇動しようとする者がいるとすれば、それは愚の骨頂でしかない。
▼雑感②:
こんなことを書くと全国2000万人の小林多喜二ガチ勢に僕は殺されるかもしれないが、まあその、えー、正直、『蟹工船』は物語としては陳腐だな、と思いましたすみません殴らないでください。で、発表当時は読者に衝撃を与えたのは承知の上だが、にしても陳腐だなと私なんかは思ってて、その根拠は「▼雑感①」で述べた通り、普遍的な事実に終始しているからです。ですが、興味深いシーンが1箇所だけあってそれは「学生が発案した責任者の図のくだり」であり、この図、すごく良い。
この図のような「アホの謎理論」的なものを煎じ詰めると文学性に結び付く様に思う(※2)。で、こんなくだらないことをわざわざ図にしたのも良い。結果的に功を奏さなかったのも良い。「威張んな」の漁夫、という言葉のチョイスも良い。「全部の諸君」という低脳マル出しの表記も良い。なので、私は「責任者の図のくだり」的なことをもっと書いたらいいのになーって思いましたし、そしたら文学性も爆アゲなのになーって思いました。
といったことを考えながら、この感想文は今日の昼間、ズブロッカを8杯ガブ飲みしたそんな時ふと書き捨てた反古である。
※1・・・『寺田寅彦随筆集(第四巻)』より要約。
※2・・・文学性の有無に関しては、原民喜『夏の花』の拙読書感想文を参照。
以上