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20代、愛嬌しか取り柄のない女の末路
こんなタイトルですが、ある程度皆さん予想はつくかと思います。
愛嬌だけで20代を生き抜いた女は、それなりに悲惨です。
そもそも愛嬌ってなんなのでしょうか。
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素敵な言葉ですね。字面を見るだけで口角が上がりそうです。
ちょっと前の世代なら「男は度胸、女は愛嬌」と言い育てられた人も少なくないのではないでしょうか。
私もその1人です。
しかし実際問題、生き抜くためには「愛嬌」は才能を着飾る羽衣でしかないのです。
「愛嬌があれば玉の輿に乗れる」「コネが作れる」なんていうのは幻想で、
玉の輿に乗れる女はそれなりの器量と容姿がなければならないし、コネが作れる女は賢さと魅力がある。
愛嬌というのは「愛嬌+α」で力を発揮するのです。
就活における英語力と同じですね。
愛嬌を剥いた中身が空っぽな大人は、現代社会を生き抜くには弱く、すぐ飽きられる。
10代前半の頃、水商売で出会ったお客様に言われました。
「お前中身薄っぺらいな」
その時の私は「18歳の女に厚みを求めんじゃねえよ」と思いましたが、今になっても忘れられていないということは痛いところを突かれた自覚がその頃からあったのでしょう。
あの時のお客様、見てますか。私は(外側だけは)立派な大人になりましたが、今でも中身はすっからかんです。
愛嬌を頼りにしてきた20代。
ただそこにいて微笑んでいれば、自分の意見なんて求められなかった。
そのぬるま湯のように心地よい温度を覚えている。そしてそのぬるま湯がいつか冷めてしまうのを知りながら、湯船から動かなかった私は、今冷たい水を自分の頼りない体温でなんとか温めようともがいている。
なんだか陳腐なポエムになってしまって恥ずかしい。もっと面白おかしい、一度見たら忘れられない言葉が紡げたら、私はそれを武器にして生きていけてたんだよな。
「女は愛嬌があれば良いのよ」という母の言葉を鵜呑みにして愛嬌だけで20代を生き、そして後悔している私が声を大にして伝えたいこと。
「女も男も愛嬌+αよ」
未来のある少年少女が、私のような悲惨なアラサーにならないことを祈ります。