
【前回の続き】じゃあ何が続いたの?てか、そもそも続いてるってどこからなの?
前回のnote↓↓↓
やあ、ごきげんよう。なんでも三日坊主で続かないワイことももはるです。なぜかnoteは続いている不思議。まだ2ヶ月しか経ってないから続いているとは言えないのかもしれないけどなんだかんだで毎月つらつらと書いています。
ももはるね、ふと今日の夜思ったの。続いてるの基準ってなんだろうと。実は私は試行回数が多いだけで意外と続いているものがあるのではないかと、見えてないだけじゃね?うつ状態お得意の視野狭窄だ!!と思ったので考えてみることにしました!!!!押忍!!!
1. いったい三日坊主じゃない基準ってなんなのよ
三日坊主、嫌な言葉だ。思えば自分にこの言葉で呪いをかけてきたようにも思える。私は何をやっても続かないのだとずっと悩んできた。ところで、三日坊主には何か基準があるのだろうか。
そもそも三日坊主というものの語源は昔、出家したが修行に耐えられず、三日で還俗(俗人、普通の人に戻る)した僧侶をあざけっていったことにあるようだ。(goo辞書をみた。)三日というのは実際の3日間のことではなくとても短い間、短期間のことをさすようである。
短期間と言われても難しい。そもそも語源に倣うなら還俗などせずに出家後はずっと僧侶であることが望ましいのではないか?やめてしまうならもう三日坊主だろ!なんて暴論が頭に浮かんでしまう。実際、日本人の平均寿命は80歳。80年生きるのならば、たった1年ぽっちなど“三日”に該当するのではなかろうか。え!全部ダメですか???という気持ちになってくる。これがうつの良くない思考である。
しかし、実際のところやめてしまったらそのもの自体がそれ以降途絶えると考えるとなんの実にもならない気もする。私自身、継続は実を結ぶものだととてもよく理解している。継続せずして成功たり得ずだ。結局のところ継続し、実を結んだもの以外は大きく括れば三日坊主になるのではないか。
2. 別に三日坊主でもよくない?
今まで継続できなかったことが全部三日坊主に入るなら、もう三日坊主でいいのではないかと思う。前の記事で書いた通り、今までの人生、その時やめて後悔したことはほとんどない。全力で挑戦して、抗って、負けて、立ち上がっての繰り返しで私の人生はできている。悩みは尽きないけれどその時できる最善をやってきたと思っている。
できなかった、実を結ばなかったことは仕方ないことなのではないか。
気力が出ない時やどうしても辛い時、続かなくて悩んでさらに辛くなった時、やりたくないだけで放り投げた時も頑張って生きていた。生きることを継続してただけ偉いやんと気力がある時は思える。思えない時ももちろん多いけれど。
よく考えてみると食事も、歯磨きも、睡眠も、続けられていなければ私はここにはいないだろう。薬だって夜だけしか習慣化できなかったけど毎日飲んでいるし、歯磨きに関してはしなかった日がないくらい毎日している。あれ、続いている?
最近に至ってはちゃんとドライヤーしてるじゃん。あれれ、続いてるや。
3. 習慣になればいいんじゃね
ここまで考えてみて、続けることが無意識になった時、三日坊主を抜け出せるのかもしれないと気づいた。習慣化は継続の唯一の方法と言っても過言ではない。ルーティンって思ったより大切!?
確かに私は昔、薬を飲むのがとても苦手で良く飲み忘れてしまっていた。しかし、夕食後に薬を飲むというひとつだけに集中して飲んでみた時期があった。そのおかげで現在は夜の薬だけ飲み忘れることはなくなった。朝や昼の薬は忘れてしまうのだが、それだけはできるのだ。
これには重要なポイントがある。すでに習慣化されているものに1つだけ習慣化したいことを追加することだ。絶対にいくつも習慣化しようと欲張ってはいけない。ひとつずつ習慣化するのだ。
4. わかっちゃいるけどやめちゃう
こんな偉そうなことを書いたが、全部が全部習慣化できるわけではない。YouTubeの筋トレ動画は飽きてやらなくなるし、絵の毎日投稿だって気力が出なくてやらなくなる。
うつのせいか、もとの体力のせいか、寝こけてしまうことも多い。人生には本当にしょうがないことが多いものだ。
私のキャラクターたまごチキンは、そんなしょうがない世界をしょうがないけど生きるしかないね。という思いを込めて描いている。いつかしょうがないと思いながら作った絵本を全編公開しようと思っているのでお楽しみに。
ドンマイ!どうしようもないワイ!
なんとかなるやろ!!たぶん!!!!!