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ショートストーリー『総武快速にて』
✳︎✳︎✳︎ 100%フィクションです ✳︎✳︎✳︎
車窓から夕焼けの空が見える。ガタゴトと線路の継ぎ目を通るたびに起こる振動に揺られて、千葉方面へ向かう総武快速のボックスシートで、彼女は疲れて眠りこけていた。土曜日だからか、いつもは立つ場所もなく通路からボックスシートの間まで押し出されてくる乗客が今日はいない。4人掛けのシートを2人だけで使っていた。隣のボックスシートも窓際の隅に1人、居眠りをする中年の男がいるだけだ。
新小岩を出て江戸川を渡り、もうすぐ市川駅に着く頃だ。電車は減速を始める。
彼女の寝顔を眺めながら、制服のまま2人で観てきた映画を思い出す。アメリカのどこかの山の中で、牧童が2人、恋に落ちる話だった。
停車の軽い衝撃で彼女が少しだけ身じろぐ。少し伸びたけれど、まだ肩にはつかない真っ直ぐな黒髪が少し頬にかかる。蛍光灯の青白い光が反射して艶を放つ。早くもこの夏の日焼けの色が冷めてしまった肌は白く、強いコントラストに胸の辺りをぐっと捕まれるようで、何か落ち着かない。切長の目を縁取るまつ毛の長さが嫌でも目についた。
ドアが開くのに合わせて乗客が降車の準備を始め、空気が動くのに気づいて我にかえる。
自分にしか聞こえるはずのない心臓の音が耳元で大きく響く気がする。
あたりをそっと見回せば、乗り降りする客はそれぞれの目的の為に動いており、自分の心臓の音なんか気にしていない。彼女は少し疲れた表情のまま変わらず、規則正しい寝息が聞こえる。
大丈夫。誰も何も気づいてはいない。
発車のベルがけたたましく鳴りドアが閉まる。電車はゆっくりとまた動き出す。
不意に彼女の目が開く。
「今、どこの駅?」
「市川を出たところだよ。私は船橋で降りるから、そこまで寝ていたら。」
「そうしよ…。」
言い終わる前に彼女の目が閉じた。ガタンとまた電車が強く揺れて、弾みで彼女の頭が私の肩に乗る。生きている人の体温が伝わってくる。制汗スプレーやシャンプーや整髪料の香料の向こう側の汗の匂いが鼻をかすめる。
また心臓の音が大きくなった気がする。自分の音なのか、彼女の音なのか、混乱して顔が上がる。目の中にまた車窓の風景が飛び込んでくる。
さっきまで、オレンジやら、赤やら、黄やら、紫やら、今日最後の色彩を放っていた窓の外は、背景を藍や濃紺に変えていた。立ち並ぶ雑居ビルの薄汚れた白い壁や屋上の貯水タンク、照明や看板がごちゃごちゃと続き、車窓を流れて去っていく。
本八幡、下総中山と駅を通過していく。彼女は肩の上でまだほんのりとあたたかい寝息を立てている。
このままずっと2人でこうしていられたらと願った。彼女に気づかれないようにそっと願った。
西船橋のあたりで何本も線路が並んでいるせいで、少し視界が開ける。車窓は郊外の住宅地に変わる。
気がつけば、減速が始まっていた。