空想お散歩紀行 多免許社会
人は自由に行動できる。
とは言え、何もかも好き勝手にやっていいというわけではない。
特定の行動をするためには、特定の許可がないといけない。
医療行為をする人は医師免許が必要だし、車を運転する人は運転免許が必要だ。
誰でも自由に医療や運転ができるようにしてしまったら、大変なことになるだろう。
だからこそ、ある程度のハードルを課すことで治安の安定化も図るのだ。
「えーと、次は、と」
彼、キクガワは今日仕事を休んで、免許の更新のために免許センターにやってきた。
「ここで車の免許更新をした後は・・・」
彼は手にしたメモに目を落とす。
そこには今日一日のスケジュールが書かれていた。
かなり細かく書かれている。
「4丁目の飲酒免許センターで、酒を飲むための免許、次は7丁目のネトゲ免許センター、
その次は5丁目の撮り鉄免許・・・それから海水浴免許・・・」
キクガワだけではない。同じく免許センターにいる人たちは、それぞれメモやらスマホやらを凝視しながら何かを言っている。
あらゆる多くのことに免許が導入された結果、確かに環境が良くなったことは確かだ。
海水浴場やイベント会場などにゴミは落ちなくなったし、ネット上での暴言や誹謗中傷も激減した。
そんなことをしたらスピード違反等と同様、免許取り消しもあり得るからだ。最悪、飲酒運転みたいに警察沙汰、免許取り消し、逮捕なんてこともある。
免許のおかげで、これまで荒れていた場所は平和になったかもしれない。だが、
「その次はスポーツ観戦免許・・・カラオケ免許・・・コーヒー免許・・・」
所持している免許の数はできることの数を表す。いかに多くの免許を持っているかが社会的ステータスでもあるのだが、免許を多く持っている人ほど窮屈に生きているように見えるのもまた現実であった。
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