空想お散歩紀行 救いたい魂が宿るのは
江戸の町。将軍様の膝の下、小心者からやくざ者まで、ありとあらゆる人々が行き交うこの場所では今、一つの噂話で持ちきりだった。
それは、夜な夜な現れるという辻斬りの話。
ただ、辻斬りというだけなら物騒な話ではあるが、珍しいわけではない。
問題は斬られた相手の方だ。格好からして明らかに武士、もしくは浪人。少なくとも刀を持っている身分の者。
辻斬りと言えば、大抵は被害者は町民など、刀なんて一度も握ったこともないような者たちばかりだからこそ話題になった。
さらにもう一つ、斬られた相手、武士や浪人などが持っていたであろうと思われる刀、それがどこにも見つからなかった。
これらのことから、江戸の世に復活した武蔵坊弁慶ではないかと人々は口にした。
しかし、別の見方をする人々もいた。
その辻斬りに斬られた相手は、少なからずいい話が出てこない連中だった。町人に対する言動や、金遣いや女遊びなど、言ってしまえばろくでなしの、悪人と言っても差支えないほどの人間だった。
だから、その辻斬りのことを人知れず世直しをする義侠心に厚い人間なのではと考える者もいた。
「物騒だねえ、昨晩もまた一人、だってさ」
「でも俺たちのような町人からは被害は出てないんだから大丈夫だよ」
今日もまた、往来で立ち話をしている人々の話題は例の辻斬りの話だ。
その横を一人の青年が横切る。
「お、先生。この前の薬よく効いたよ。ありがとな」
彼に向かって手を挙げあいさつを交わす町人。
彼はそれに軽い会釈で返すと、その場を足早に立ち去った。
彼は医者としてこの町の人々から信頼を得ていた。自宅に帰ると、密かに作った地下室へと向かう。
そこにあるのは、大量の刀だった。
彼こそがこの町の噂の人物、謎の辻斬りの正体。
だが、彼は噂されているような、江戸の武蔵坊弁慶でも、悪人を懲らしめる義の人でもない。
彼にはただ見えるだけだ。刀の悲鳴が形となって。
刀には様々な物があり、中には妖刀と呼ばれる物もある。だが、妖刀は最初から妖刀だったわけではない。
最初は何でもない普通の刀でも、それを持つ人間の心に影響されて徐々に負の力を溜め込み、そして妖刀へと成長していくのだ。
妖刀と言ってもピンからキリまである。
伝承や伝説に残っているような物はもはやどうしようもないが、彼が見えるのは、人間で例えるならば、風邪をひいた状態のような刀だ。妖刀の雛とでも言うべきか、今は普通の刀とほとんど同じでも、放っておけば病状が悪化する可能性が大いにある。
彼はそんな刀たちに同情しているだけだ。
そして救いたいと思っている。
だから彼は夜な夜な、哀れな刀を助けるためにその持ち主を斬るのだ。相手は事情を話せば刀を手放すような輩ではない。
彼にとっては救うべき刀が一番、人の命はそれより下だ。
悪人から解放された刀を清めるために、彼は特別に作った部屋で治療を行う。
悪い病気が治った刀を見る時が、彼にとって一番心が満たされる時間だった。
そして今宵も、闇の中で血が舞い、刀が一振り誰にも知られることなく消えていく。
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