空想お散歩紀行 理想の企画と現実の狭間で生きるサラリーマン
企画会議のプレゼン。ここほど緊張することはない。
どれだけ念に念を入れ準備してきたとしても、アイデアが通るとは限らない。
その原因は様々だ。プレゼンの準備不足、企画に対する掘り下げが甘い、というのならまだ納得できる。だが、時には判断を下す上役のその日の気分とか好みで、通ったり通らなかったりするから気が落ち着くことなどない。
「ふぅ・・・」
精一杯はやったはずだ。ここまで来たら後は天命を待つのみだ。
いつも飲んでいるはずの紙コップに注がれたコーヒーが少し旨い。
正直言って自信はある。
新しいデスゲームの企画について。
数人から十数人の人間を強制的に集め、謎を与えて互いに争わせ、勝ち残った者だけが生き残る。団結、裏切り、共謀、ルール内なら何でもありの闇のゲーム。
昨今、世間で流行っているゲームなので、我が社も力を入れているわけだが、流行っているからこそ他社との差別化は大切だ。
基本は外さず、しかし他にはないオリジナリティが出せるかどうかが問われる。
奇をてらえばいいというものではない。
確かに出題する課題を難しくすれば、簡単に殺すことができる。しかしそうではない。単に殺したいのであればもっと単純な殺戮ゲームでいいのだ。
誰もクリアできないゲームなんてクソゲーでしかない。
一人もクリアできないような難易度を維持しつつ、しかし決してクリア不可能にしてはいけない。
デスゲームは常にその際どいラインを見極めねばならない。
参加者にも配慮する必要がある。デスゲームに参加する人間たちを、同じようなタイプだけにしてはいけない。持っている能力や性格をなるべく異なるようにすることが大切だ。
だがそうすると、ゲームの課題も難しくなる。
体力のある者や特定のジャンルについて深い知識を持っている者が有利になるような課題を出すわけにはいかない。
まあ、あえてそういう課題を出すことで協力や裏切りなどの演出が出しやすくなるのだが、はっきり言ってそれは運に寄るところが大きい。下手をするとグダグダな展開になりかねない。
デスゲームは単なる催しではなく、事業であることを忘れてはいけない。ある程度結果を予測できないと上もゴーサインを出しにくい。
理想としては、参加者全員が絶望を感じつつも、頑張れば突破できるのではと思わせ、最後にさらに大きな絶望を与えることだ。
だが、言った通りそれは理想だ。
現実は、頭の中で考えているようにはいかない。
何よりも真っ先に壁として立ちふさがるのが時間と予算だ。人間関係もある。
大抵はこれらの現実の前に妥協を余儀なくされる。
だが、これが仕事だ。
こんなふうに割り切れるようになってしまったのはいつからだろうか。
昔はもっと違ったのではないのか。まさに理想通りのデスゲームを作ろうという熱意を持っていなかったか?
これは成長なのか堕落なのか分からぬまま、空になった紙コップをゴミ箱に入れる。
まだ仕事は残っている。
いつかもっと出世したら、もっとスキルを磨いたら、理想の絶望デスゲームを作れるようになるのだろうか。
疑問と迷いをいくつも抱えたまま廊下を歩く。
今日の業務終了まで後1時間と25分。
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