空想お散歩紀行 揺れる水面は桜色
船乗りたちの間で、一年の内、この時期だけの楽しみがあった。
彼らは船に大量の酒と食べ物を積んで出港する。目的地はどこかの大陸や島ではない。
見渡す限り水平線しかない海上である。
既に何隻もの船がこの海域に集まっていた。
不思議とこの時期は海が荒れることはほとんどなく、今夜も穏やかな波がゆりかごのように船たちを揺らしていた。
船乗りたちは皆一様に、水面へと目を下ろす。
普段、海の上で生活し、海面など見飽きているはずの彼らだったが今夜だけは違う。
そこにはまさに幻想的な光景が広がっていた。
海面がまるで桃色の花が散りばめられたかのように光を放っていた。
海を眺めていた船乗りたちは、次に空を見上げる。この光景の正体がそこにあった。
雲一つない夜空に浮かんでいるのは無数の星と満月。
その満月が桃色の光に包まれていた。
普段の月とは全く違うこの現象はこの時期特有のものだ。
この海域からそれほど離れていない所に砂漠がある。そこからこの時期にだけ吹く風がその砂漠特有の砂を空に舞いあげる。その砂が空を薄く覆うと、月の光が桃色に変化するのだ。
今でこそ原因が解明されているが、昔は悪魔に仕業として不吉なものとされていた。
だが正体が分かれば恐怖心も消える。今では風物詩として船乗りたちの楽しみになっていた。
遠く東の国にあると言われている花と、その月の色が似ていることから、船乗りたちはこの現象のことを、桜波の夜と呼んでいる。
ゆらゆらと揺れる淡い桃色の海面は、まるで無数の花びらが海を覆っているようだった。
普段は騒がしく、笑い声が絶えない船乗りたちの酒の席も、この夜だけは不思議と静かに酒を飲み交わしていた。
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