空想お散歩紀行 才能は作れるけれど
いつも通りの朝。彼はいつも通りの時間に家を出て、職場に向かっていた。
高速で通り過ぎていく風景もまたいつも通りだ。
彼が運転する車は庶民ならばとてもではないが手が出ない高級車だが、彼にとっては数ヵ月も貯金すれば手に入る代物だ。
家は辺り一帯を見下ろせる超高層階にあり、家にはモデルクラスの妻が家事と子育てに精を出している。
文字通りの雲の上の人だ。彼はそれらを全て自分の力で勝ち取ってきた。
それらを手に入れた瞬間は、彼も喜びや興奮を覚えた。
だがそんなものは、夕焼けの空のごとくすぐに移り変わる。彼が満足を感じ続けることは今までの人生で一度としてない。
彼は自分の能力に自信を持っている。いや、持っていると信じたいだけかもしれない。
彼の能力や結果は、確かに彼が努力してきた証だ。それははっきりしているが、それでもどこかわだかまりが残っていた。
その理由は、彼が産まれる前の話に遡る。
技術の発達は、人の生活をより便利にしていった。さらなる高みを目指し止まることを知らない進化は、ついに神の領域にも進出を始める。
遺伝子操作。産まれてくる前の子供に対して、その遺伝子に手を加えることで、ある程度思い通りの人間を誕生させることができる。
見た目、体格、知能。最初は産まれる前の子供が先天的な病気を持っているかどうかから始まった研究は、デメリットの排除から、メリットの追加と強化に推進していった。
彼はその遺伝子操作によって産まれた子供である。
当然、遺伝子操作をしたからと言って、その子供が成功者になるとは限らないが、彼は上手くいった側の例である。
容姿端麗、スポーツ万能、頭脳明晰な彼は、子供の頃から実績を積み上げ、当然のように今はこの社会を支える重要な柱として仕事をしている。
だが、彼は思う。あらゆる能力は手に入れても、もしかしたら自由ではないのかもしれないと。
遺伝子操作による出産は、倫理的な側面から批判は当初こそあったが、それは今までなかったものに対する拒否感というもので、時間が経つにつれ受け入れられていった。
むしろ、遺伝子操作をするにはそれなりに金が掛かることのほうがリアルな問題意識を生み出した。
遺伝子操作できるのは金を持っている親。それによって産まれた子供が社会的に競争に勝利し成功してまた大金を得る。
金の無い親は産まれる前の子供に何もできない。時折、トンビが鷹を産むことはあっても、そんなことは稀な話だ。
つまり、貧富の格差がさらに広がり、固定化する可能性の方を人は恐れた。
人の世は常に技術に後れを取る。技術の後に世の中がついていくことは珍しくない。
そこで生まれたのが、遺伝子操作された人間は優秀であるがゆえに、それにふさわしい責任を義務付けられるという法だった。
優秀な能力を持って産まれた人間は、社会を発展させ、維持し支えなければならない。
その決まりが出来て数百年、実際に世界は発展のスピードを上げてきた。遺伝子操作技術もより洗練され、より確実に優秀な人間を作り出すことが可能になっている。
そして、遺伝子操作せずに普通に自然に産まれた人間はそこまで大きな責任を負う必要はないとされた。
ベーシックインカムによって金はある程度保証され、それほどあくせく働かなくても、なんなら全く働かなくても生きていけることもできるほど、ゆるやかな生き方が許されている。
彼らに求められているのは、ただ消費者としての役割だけだ。
車からの景色を見て彼は思う。道を歩いている連中はおそらく一般人だろう。
彼らの想像もできない生活を自分は送ることができている。
だが、自分が一生手を伸ばしても手に入らないものを彼らが持っている気がどうしてもしてしまうのだ。
持って産まれた才能。頼んだ覚えは無いのにと彼は思いながらも、今日も職場への道を走っていく。
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