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空想お散歩紀行 人生の岐路にあるカフェ

彼の生活はようやく落ち着きを取り戻していた。
突然の父親の急死。葬儀やら何やらの激流のような時間が過ぎ、最初の休日。彼は散歩に出ていた。
傘を雨が叩く音を聞きながら歩いている。
歩きながらも、特に何か考えることがあるわけではない。いや、むしろ考えることが多すぎて何も掴めない状態なのかもしれない。
半ばぼおっとした頭で散歩を続ける。
ふと気づくと、普段は歩くことの無い路地に入ってしまったのか、視界の中は見慣れない建物ばかりになっていた。
そんな彼の目に止まったのは、一つの看板。どうやらカフェのようだ。
ちょうど雨を強くなってきたし、雨宿りしようと彼はドアをくぐった。
「いらっしゃいませ」
初老のマスターと思しき男が出迎えてくれる。
見た目はいかにもカフェのマスターといった感じだ。
店内は落ち着いた雰囲気でどこか懐かしさを覚える。
注文したコーヒーが目の前に出されるのと同時にマスターが彼に話しかけてきた。
「何か、最近大きなことがありましたか?」
彼は即座に答えることができなかったが、その表情が答えになっていた。
「やはりそうですか」
「なんでそう思ったんだ?」
「この店はですね、来るべき人が来るべき時に訪れる店なんですよ」
「・・・・・」
「ああ、あと雨の日にも入ることができません。なぜかは私も分かりませんけどね」
「・・・よく分からないな」
彼はマスターが何を言いたいのかよく掴めなかったが、マスターの方も無理に説明する気は無いように見えた。
「失礼ですが今日は何日ですか?」
「え?8月17日だけど」
「2024年ですか?」
「何言ってんの23年だよ」
「ああ、そうでしたか。おしい、自信はあったんですがね」
彼はますます意味が分からなくなった。もしかして危ない店に入ってしまったのだろうか。
そんな彼の考えを見透かしたかのようにマスターは話を続けた。
「この店はですね、時間の流れの外にあるのです」
「え?」
「正確には全ての時間が同時に存在すると言ったほうがいいでしょうか」
「いや、ますます分からないよ」
苦笑いしか彼は返すことができなかった。マスターは視線を店の奥の方に向けた。
「例えばあそこにいるお客様は、1983年の4月20日からお越しくださいました。初めての子どもが生まれたばかりで、父親としての不安と決意で心が一杯になっています」
マスターは当たり前のように説明するが、彼は置いてけぼりの状態だ。
「あちらの女性は2005年の10月5日から来ました。仕事が成功して今度海外へ進出することになったのですが、そのことで恋人と別れるかどうかで、人生の岐路に立たされています」
確かに今は夏のはずなのに、それにしては少し厚着の女性がそこに座っていた。
「あそこにいるのは2047年の―――」
「ああ、分かった、分かったよ」
どうやら相当変わったマスターのようだ。今言った客たちに直接聞いて確認するつもりもない。とりあえず適当に話を合わせておこうと彼は思った。
「じゃあさ。そんな色々な時代のお客がいるこの店をやってるあんたは一体何者なんだい?」
「さあ、それは私にも分かりません。気が付いたらここで働いていました。ですが、一つだけ分かっていることがあります」
「それは?」
「この店を訪れた人は何かしら『答え』を見つけるということです」
「答え・・・」
「あなたは後悔していますね。いるのが当たり前だと思っていた人が突然去ったことで、自分がその人のことを実はほとんど知らなかったことを。もっと話しておけば良かったと」
彼は言葉を返すことができなかった。マスターが言ったことは、自分でも言語化できなかった心の深いところを的確に射抜いたからだった。
ほんの数秒、しかし彼にとってはとても長く感じる時間の後に、口を開くことができた。
「・・・確かにあなたの言う通りだ。今さら考えてもしょうがないことをずっと考えてるよ。もうどうしようもないのにな・・・」
不思議と彼は自分の気持ちを話すことができた。マスターをそれを聞き、満足したように微笑んでいた。
「大丈夫ですよ。言ったでしょう、ここでは誰もが答えを見つけられると」
そう言うとマスターは再び店の奥に視線を向ける。それに気付いたのか、先程子供が生まれたとか言われていた男性がこちらに顔を向けた。
彼はその瞬間驚きで固まってしまった。その男性の顔に見覚えがあったからだ。
それは、父親の遺品を整理していたときに出てきたアルバムの中にあった写真に写っていた男性と全く同じ顔だった。
「どうでしょう?少しお話でもされては」
マスターは新しいコーヒーを2杯準備を始めた。これはサービスだと言って。

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