空想お散歩紀行 死が集めるものは生
「お願いしまーす!」
冬の朝の駅前に大きな声がこだまする。
その姿がはっきり見えない距離でも、元気な声だけで若いことが伝わってくる。
横一列に並ぶのは若い、中学生か高校生の男女5人。
それぞれが紐付きの箱を首からぶら下げ、
「お願いしまーす!」
と、同じ言葉を朝の駅前を行き来する主にサラリーマンたちに呼びかけている。
行き行く人々も、そんな時期かと学生たちの顔を見ながら歩いて行く。
これはこの地域特有の光景だ。
もしこのことを知らない人が見たら、募金活動だと思うだろう。
確かにコンセプトは同じだ。道に立ち、通行人から募る。ただ、募るのはお金ではない。
「募命お願いしまーす!」
並んでいる学生たちは死神族の子供たちだ。
生物の命を司る、運命に干渉する力を持った種族。
と、聞けばかなり恐ろしく聞こえるが、それは遥か昔の話。
今は、種族間協定で無秩序な活動は規制されている。
しかし種族としての誇りや伝統というアイデンティティは失ってはいけないということで、子供の頃から行っている彼ら特有の活動の一つがこの募命活動である。
その名の通り、募るのはお金ではなく命、寿命である。
子供たちが持っている特殊な魔術の箱に手を当てることで寿命を数秒から数十秒、吸い取ることができる。
募金と同じで、一人一人からもらう量は少なくても、塵も積もれば山となる。
そして集められた寿命は慈善事業に使われる。例えば、事故や災害で重傷を負った人がいたとする。一刻も早く病院へと運ぶが、病院まで持ちそうにもない。あと10分耐えてくれれば手術まで繋げることができるのに、とそんな時に使われるのが死神族によって集められた寿命だ。
今の時代の死神は命を奪うというよりも、命を善意で頂いて、それを福祉として与えることが主な役割となっている。
「募命お願いしまーす!」
寒空に衰えることなく元気な声が響く。
朝の時間、仕事に向かうであろう人たちの何人かは子供たちの方へと足を向けている。
彼らの数秒の献身が集まったものが、明日の世界のどこかで誰かを救うことに繋がるのだ。
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