空想お散歩紀行 あの世の今を伝えます。
常識、風習、慣習、掟に文化。一度その場所に定着してしまったものを別の色に塗り替えるのは難しい。
新しいものが入ってくると、元々あったものとの衝突は避けられない。
新しいものが取れる手段は限られている。
古いものを潰すか、共存していくか、もしくは撤退していくかだ。
俺には撤退という選択肢はなかった。どんなものでもその価値を広げてきた。マーケティングのプロとして。
俺に流行らせることのできない商品や企画は無いと信じていた。
どんなマイナーなアイドルだろうが、どんな弱小企業が作った新製品だろうが、人々の心、時代の流れを読んでそれを世間のメジャーにまで押し上げてきた。
だが、世界を見通すことのできる俺の目をもってしても自分の体のことは見えていなかった。
重い病気に侵され、死の淵をさまよった時、俺はガラにもなく祈ってしまった。
神でも悪魔でもいい、助かりたいと、助かったら何でも言うことを聞くと。
そう祈ったが、もしかしたら運の尽きだったのかもしれない。
俺の病気は次の日にはすっかり治ってしまっていた。
悪魔の力によって。
「で?お仕事の進捗の方はいかがですか?」
「うるせーな。人間より長生きなんだから、もう少し気も長く持てねーのか」
俺の机の上にちょこんと座っている、傍目から見たらぬいぐるみのようにしか見えないが、あいにくこいつは俺にしか見えない。
このぬいぐるみ野郎が、俺の病気を治した悪魔だ。そして、俺はこいつと契約状態にある。
命を助けた見返りとして、こいつが俺に要求してきたもの。
それが、あの世のマーケティングだった。
現世の人間たちがあの世について持っている認識や常識が何百、何千年も前からまったくアップデートされていないことを重く見たあの世のお偉いさんたちが、それを変えようと指令を出したのが、この悪魔らしい。
そして俺が目を付けられた。つまり俺はあの世の下請けになったようなものだ。
「お前、人間界ではやり手の広告屋なんだろ。これくらいすぐできねーのか」
「うるせーな。俺が手掛けてきたのは、人間とか商品とか、形があって目に見えるものなんだよ。あの世なんてふわっとしたイメージを売ったことなんてねーよ」
「でもお前、何かを売る時に大事なのはイメージをいかに広げるかって言ってたじゃねーか」
「う・・・」
確かにイメージを良い方向に持って行くことは大切な作業だ。
「だけどな。あの世のイメージが良くなったところで、この世の人間たちに何の得があるんだよ。商品を手に入れる、推しのアイドルが見つかる。何かしらの分かりやすい利益があるからマーケティングは成り立つんだ」
「利益ならあるぞ。人間たちが持ってるあの世のイメージは古すぎる。今、あの世にはお花畑なんか退屈な所は無いし、針の山とか血の池みたいな苦しみを与える所もない。コンプラに違反するからな」
何度もこいつは、今のあの世のことを説明するがどうもいまいち想像ができない。
「ネット環境も整ってるし、レジャー施設もジムもちゃんとある。輪廻のシステムも昔と違って、一方的に来世が決められることもない。全部とまではいかないけど、ちゃんとある程度来世に何になりたいか要望は聞いてくれる」
「あの世のイメージ壊れるなあ」
「壊すためにこっちはやってんだよ。そしてそれがお前の仕事だ」
今のあの世のマーケティング。正直先が見えない。こいつの言うことをそのまま広めようとしたって、完全の俺が頭のおかしいやつになるだけだ。
いや、それだけならまだマシかもしれない。最悪、宗教というある意味一番敵に回してはいけないものを敵に回すかもしれない。
「分かってんだろうけど。もしお前がこの仕事を放りだしたら、お前を殺すはずだった病気がまたお前を殺すだけだからな」
俺は命を人質に取られている。こういうところは見た目はぬいぐるみでも悪魔らしい。
「逆に言えば、お前が仕事をやっている間はお前は死なない。つまり今のお前は不死身だ。安心して身を粉にしろ」
余計なオプションまで付けやがって。
常識、風習、慣習、掟に文化。一度その場所に定着してしまったものを別の色に塗り替えるのは難しい。
これは俺にとって数えるのもバカらしいほどの長い長い時に渡る、とてつもない大仕事のほんの始まりに過ぎないのだった。
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