空想お散歩紀行 不老不死の先に見るもの
西暦2256年。人の命に関わる二つのことで新たな発見があった年だった。
そこから100年が経った2356年。発見は研究によってデータを重ね、開発によって人が手に取ることができる技術へと昇華した。
かつてない、人類の歴史を大きく変えた発見の一つ目。
それは不老不死の実現である。老いることなく、死ぬこともない。多くの人間が夢に見た、
夢すら超えた夢。それが現実のものとなったのだ。
これにより、世界中の人間が全て現在の体のままそれ以上歳を取ることなく、新しく産まれた人間も、肉体的に最盛期の10代後半から20代前半のあたりで不老不死の処置を施されている。
しかし、この技術の発展の裏には追い詰められた人間の必死の足掻きがあった。
ある時期を境に、世界中のほとんどの人間に遺伝子上の病気が蔓延した。
その病気とは子供を作ることができなくなるというもの。
これにより、世界の出生率は激減。子供ができることはとてつもない幸運なこととみなされるようになってしまった。
世界はほぼ今いる人間たちで支えていかなくてはいけない状況になった中で発見、確立された不老不死の技術。
まるでこうなるように神が書いたシナリオなのではないかと考える人も決して少なくなかった。
こうして人々は、ほとんど増えることなく、ほとんど減ることのない人たちで世界を支えていくことになる。
そのような世界では、価値観も大きく変わっていく。
それに影響を与えたのが、不老不死と同じく発見されたもう一つのもの。
死後の世界の存在である。
これも一度は誰もが想像したことがあるだろうが、あくまで想像上のものだと思われていた。
何しろ誰も確認することなどできないと思われていたからだ。
しかし、科学はついに世界の次元すらも超えるところまで行きついたのだった。
と言っても、死後の世界はどういうところなのかという詳しいことまでは分かっていない。
あくまで死後の世界があるということ、そしてどうやらそこはこちらの世界とは全く違ったものであるらしいということが判明したくらいだった。
しかしそれだけでも十分だった。
人々は死後の世界について夢中に考え、真剣に議論をした。
そしていつの間にか、死後の世界というのは現実とは違い、喜びと安心に満ちた世界であるということが一般的な通念になっていた。
そうなった背景には、不老不死の体が関係していた。
老いることの無い体、死ぬことの無い体は素晴らしい進化なのかもしれないが、人の心まで進化したわけではなかった。
永遠に生きるということ、永遠に社会の一員として働き続けなければいけないということは、想像以上に人々の負担になっていた。
老いない肉体と脳を駆使して、新しいことに挑戦したり、新しいことを勉強して、新しい仕事に打ち込んだりしても、やはり限界はあった。
そして人々は死後の世界のことをより考えるようになった。
一応、不老不死を解除する技術もあるにはあるのだが、世界を維持するための不老不死であるため、基本解除技術が施されることは認められない。
しかし、社会に十分な貢献をし、多大なる結果を残すことができた者には「例外」が認められることがあった。
かくして世界の人々の多くが、死という目的のために不老不死を生き続けることになった。
だが、現状実際に死ぬことができたのはほんの一握りに過ぎない。
死が、一部の限られた者たちの特権になっていた。
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