空想お散歩紀行 探偵と侍
夜とは、多くの生物にとって安らぎと休息の時間である。今日一日の疲れを労わり、眠って次の日に備える。
しかし、昼行性でも夜行性でもない生物がいる。人間だ。
俺たちは昼に生きるべきか、夜に生きるべきか、そんな単純なことすら忘れてしまったのかもしれない、常に迷っている生物だ。
夜は静かであるべきだと考えるやつもいれば、夜だからこそ騒ぎたいやつもいる。
俺は、できることなら夜は静かに過ごしたい。そう、できることなら。
だけど、人生はそう簡単にそれを許してはくれないようだ。
なんて、センチメンタルなことを考えてみたが、今状況は最悪である。
「おらあッッ!!まてやああッッ!!!」
夜の闇を引き裂かんばかりの怒号が耳に届く。まだそれなりに離れているはずなのに、俺を追ってくるやつは先程から勢いが止まることはない。
と言うか、さっきよりも人数が増えている。
俺が逃げているのは何もやましいことをしたからではない。
探偵としての職務を全うしたからだ。
ただ、今回の依頼がヤクザの親分の浮気調査だったことと、この街はヤクザやらマフィアやらならず者やら、とにかくそういうやつらが寄せ鍋みたいな街だということだ。
とにかく今は逃げる。捕まるのはもちろん論外だが、顔が知られるだけでもやばい。
「いや、まったく困りましたな」
「お前が原因なの分かってんのか!?」
俺の隣に並んで一緒に逃げているやつが、まるで他人事のように言っている。俺が必死に走っているというのに、こいつはまったくもって涼しい顔だ。
「お前がいきなりターゲットの前に出てって、浮気かどうか直接聞いたのがこの状況の始まりだろ!」
「いやしかし、隠れて証拠を掴むというのは間諜のようで拙者は好かんでござる」
変な言葉遣いのこいつは、自称侍の輪之介だ。
何でも本人曰く、戦の最中に気付いたらこの街にいたとのことだ。
要するに過去からタイムスリップしてきたみたいなのだが、最初は当然頭のおかしいやつとしか見れなかった。
だが、知識やものの考え方、行動があまりにもはまっている。
そして何より、侍と名乗るだけあって腕っぷしがとてつもなく強い。
だから、行く当てのないこいつを俺は雇うことにしたわけだが、今この瞬間はそのことを後悔している。顔を隠すための面をさせていたのがせめてもの救いか。
「それで、これからどうするでござるか?」
「・・・しかたない」
できることなら、このまま逃げ切るのが最善だったが、どうもそうはいきそうにない。
だったら火はなるべく早く消すだ。
「行ってこい」
そう言うと俺は、バッグから取り出した物を渡す。こういう時のために作った特製の折り畳み式の木刀だ。
「委細承知した。主殿」
狐の面をしてても分かるくらい、嬉しそうな表情を浮かべると、輪之介は木刀を持って一人追手の方へと向きを変えた。
「くれぐれも名乗ったりするんじゃねえぞ」
「む、そうでござった」
本当に承知できてんのかあいつは。
一抹の不安が胸をよぎる。それはあいつが自分の正体を堂々と明かすことだ。
あいつが負けることなんて正直何も心配していない。
その証拠に、そこから1時間後、こいつは上機嫌で事務所へと帰ってきた。傷一つ負わずに。
これが、この街で侍を相棒にして探偵稼業をしている俺の生活だ。
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