「自己啓発本」って意外と面白い。
僕は「自己啓発本」が好きだ。
こんなことを言うと、まるで僕が「意識高い人」に見えてしまうかもしれない。毎朝6時からランニングと読書を欠かさず、仕事終わりには社会人セミナーに参加。週末は有名な起業家と一緒のバーベキューをして、Twitterでの情報発信を欠かさない…。
そんな人物に見えてしまったのなら、それは間違いだ。
いつも朝は自宅にいる2匹の猫に起こされて嫌々ベッドから起き上がるし、まともな運動はここ数年していない。夜は大抵お酒を飲みながらアマプラで映画鑑賞をする。そんな平均よりもややだらしないくらいの人間だ。
そんな僕でも「自己啓発本」をこれまでに何冊も読んできた。時間管理の本だったり、メンタルコントロールについての本だったり。「20代のうちに夢を叶える10の方法」とか「絶対に成功する人の考え方5選」みたいな胡散臭いタイトルの本も読んだ気がする。
とにかく数えきれないほど読んできた。
なぜわざわざ自己啓発本を読むのか?と問われれば、僕はシンプルに「面白いから」と答えるだろう。もちろん、その本を読んで学ぶことは多いし、自分の生活に活かせることも多いのだが、結局は面白いから読んでいる。
漫画を読んでいる人に「なんでそんなもの読んでるの?」と尋ねるのと一緒だ。
「面白いから読んでいる」以外の答えは無い。
どの本屋にも自己啓発本のコーナーがあるし、毎日のように新しい自己啓発本が発売されているわけだから、きっとかなりの需要があるのだろう。
それにもかかわらず、「自己啓発本」というジャンルはなぜか多くの人に敬遠されがちだ。多くの人は自己啓発本にある種の嫌悪感のようなものを抱き、僕のように自己啓発本を読み漁る人を白い目で見る。
その理由は、容易に想像がつく。
「なんか胡散臭い」からだ。
確かに、自己啓発本のタイトルはなぜか胡散臭くなりがちだし、やはり書いてあることも表面だけをなぞれば、胡散臭い言葉のオンパレードだ。
「僕はこれで年収1億円になりました!」
「人生の目標を叶えるには、〇〇が一番大切だ!」
「自分の夢を見つけるにはこの3つの方法しかない!!」
そんな言葉で溢れかえる本を見て、胡散臭く感じてしまうのも仕方ないだろう。しかも、それが知らない作者の本だったらなおさらだ。
そんな本に本屋で出会うのは、道を歩いていたらいきなり知らない人から「君の夢を叶えるための方法を教えてあげるよ!」と声をかけられるような感覚に似ている。
こういった「胡散臭さ」は自己啓発本にはつきものだ。タイトルも、本文も、全てが胡散臭い。そもそも書いてあること自体本当か分からないし、筆者が本当に成功している証拠なんてどこにもない。
僕は自己啓発本が好きだが、そういった本の胡散臭さを否定することはできない。僕自身、自己啓発本を手に取って「うわ、胡散臭!!」と思うことは度々あるから、全面的に自己啓発本というものを信頼しているわけではない。
それでも僕が自己啓発本を読むのは、胡散臭くても良いと思っているからだ。
そもそも、人の話というのは胡散臭いものだ。
テレビ番組で「1ヶ月でマイナス5kg!」なんて文言が出てきたらその時点で胡散臭いし、初対面の人間が「私、今副業で月10万円稼いでるんです」なんて言ってきたら、その人はその瞬間に胡散臭い人になってしまう。
相手が本当のことを言っているか分からない以上、「胡散臭い」と思う気持ちは消えない。そしてその胡散臭さに、次第に嫌悪感を感じるようになってしまう。
胡散臭いものに嫌悪感を持つのは、そこに書いてある内容を全て信じ込もうとするからだと思っている。全てを受け入れようとするから、全てが本当じゃないと満足できないのだ。
だが、その情報の全てを受け入れるのではなく、「とりあえず話を聞いておくか」くらいの気持ちで耳を傾けると、仮にそれが胡散臭い内容でもあまり気にならなくなる。
嘘っぽいところは心の中で「いや、それは嘘やん」とツッコミを入れ、本当っぽいところは心の中で「はーん、なるほど!」と相槌を打つ。それをやるだけで、胡散臭い情報を聞くことがなんだか楽しくなってくる。
自己啓発本についても、同じことが言える。
「たった1ヶ月で100万円稼げるようになる副業」という情報はものすごく胡散臭く聞こえるけど、信じられるところだけに相槌を打ち、それ以外は「嘘つけ!!」とツッコミを入れる。
それだけでなんだか楽しくなるし、さすがに本として出版されているくらいだから、最後まで読めば一個くらいは「なるほど!」と思える情報があるはずだ。
もし仮に、本当に何一つ共感できる情報がなかったとすれば、それはそれで面白い。
実際、自己啓発本の中には筆者の状況や思考が特殊すぎて全く共感できないものもある。逆に、どこかで聞いたような内容を寄せ集めたようなオリジナリティの欠片もないものもある。
そういった本に出会うと損した気分になってしまうけど、実はその出会いは貴重だったりする。
まるで街中にあるものすごく不味い飲食店を見つけるようなものだ。日本にある飲食店はどこも大抵美味しいと思うのだが、ごく稀に、「うわ、不味い!」と思ってしまうようなひどい飲食店に出会うことがある。
そんな店にはお金を払いたくも無いし、二度と行きたくなる。だが、そんな店に出会う確率は美味しい店に出会う確率よりも遥かに少ないだろう。
だからこそ、不味い飲食店に出会えたことは美味しい飲食店を見つけたことよりもラッキーなのだ。
自己啓発本の場合も、全部読んで一つも参考にならない本があったら、それはもはや「ラッキー」なのだ。
そんな本がこの世に存在していて、平然と本屋に並んでいる事実に、腹を抱えて笑ったらいい。
そんなわけで、僕は自己啓発本に過度な期待はしていない。初対面の人の自慢話を聞くような気持ちで本を開き、心の中でツッコミを入れながら読んでいる。
そういう意味で自己啓発本は「面白い」
もし参考になる情報に出会えれば、それも「面白い」
自己啓発本って、意外と面白いのだ。
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