「こだわり」と「人付き合い」のバランスをとるって難しい
理科の先生に、「雲のでき方知ってる?」と言われて、ペットボトルとアルコールで雲の現象を再現できると知っていたのですが、自信満々に聞いてくれている先生に申し訳なく思い、『分からない』と答えてしまったドタバタカウンセラーのタカタです。こういう場合、どうすればいいでしょうか。
今回は、子どものこころの名医、本田秀夫先生の本、「発達障害 生きづらさを抱える少数派の種族たち」を読み、改めて発達障害について考えようと思い、記事にしてみました。
まず発達障害の基本的な特性を確認します。
・自閉スペクトラム症(ASD)
「臨機応変な対人関係が苦手」なことと、「こだわりが強い」ことを特徴とします。
・注意欠如/多動症(AD/HD)
「不注意」と「多動性・衝動性」に特徴があります。
・限局性学習症(SLD)
知的な問題はないが、「読み・書き・計算・推論が苦手」ということが特徴です。
これらの障害が重なった場合、『1+1』が『2』となる人もいれば、『1+1』が『2』とならない人もいます。
またちょっとAS、ちょっとADHの特性を持った人たちもいるのではないでしょうか。私もその一人です。
そのことを基本に考えていきたいと思います。
1.発達障害と「ふつう」の境界線はどこ?
発達障害には「強弱」があり、有か無か、1か0かで考えられるものではありません。
そして発達障害も特性は、必ずしも障害となるものではありません。生活の様々なバランスの中で支障となったときに、障害の特徴として出てくるのではないでしょうか。
2.「収集家」とASはどう違う?
「特定の物事に強い興味を持つ」「特定分野のマニアックな知識」などはASと収集家の共通部分ではないでしょうか。
例えば、私はお酒を収集することがとても好きで、興味があります。しかし、ASの人と何が違うかというと、こだわりと対人関係を天秤にかけたときに、こだわりを優先するという点です。
お酒の収集も、対人関係の広がりに興味を持ちながら、収集するのですが、ASの人は対人関係が苦手でこだわりを優先するということだけなのです。常にこだわりを優先し、そのために対人関係に困難を感じてしまうことがあるだけなのです。
3.ASの社交の場
個性的な人たちの余暇活動に関して、同じ項目に興味がある会を開いています。参加者は、共通の興味がある人と交流できることは喜んでいますし、興味については良く話しますが、それ以外の話や、それ以外の交流は別にしなくてもいという付き合い方をしています。
参加者は、アニメそのものを見ることや語ることが主要な目的であり、対人関係が主な目的になっていないということは、共通しています。
活動そのものを目的として余暇を過ごすということが、スタイルとなります。
黒ひげ危機一髪というゲームでは、「誰がさした時に人形が飛び出すだろうか」というワクワク感を共有して楽しみます。
一方で、ASの人たちはこのゲームを遊ぶときは、一人がたるに剣を刺し続け、人形が飛び出したら次の人に回すという遊びをしているのです。その子の子たちが興味を持ったのは、ゲームの仕組みであり、ドキドキを共有することには興味がなかったのでしょう。
日常の集団生活では、通常のやり方の方が楽しいと感じて疑わない人たちが多数派。しかし楽しみ方に優劣があると考える人がいるとすれば、それは多数派で、たんに少数派だっただけです。
4.違いは調整する程度?
収集家は、自分がとても興味がある部分の話題になると、他の人に合わせて情報を調整し、あまりマニアックになりすぎないようにほどほどの話をすると思います。
一方、ASの人は、交流重視ではなく、内容が面白いかどうか、内容重視の会話であるように思います。会話はあくまでも情報交換のためであり、時間つぶしや交流のために会話をするということは意識していないのでないでしょうか。
どちらが良いかということではなく、単純に話し方のスタイルが違うということだけです。
こだわりを調整できることが出来れば収集家、調整が難しいことが多ければAS傾向が強いと思うわけです。
対人関係とこだわりのバランスがとることが出来るか否かが重要で、それが生活上に支障がなければ問題はないということでしょうか。
バランスって一番難しいと思います。
私も雑談は苦手ですし、話も仕事の話をしているときが一番楽です。
はっきりしなさいという時代もしんどいけど、暗黙の了解で動く社会もしんどいです。
どうすればいいでしょうかね。
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