Takuto Ito
これまでに書いた物語は、完成、未完成問わず、全てここにしまっています。
なんでもないように見える日常からの問いかけ。一つ一つが独立した物語でありながら、前の物語が後の物語にどこか続いているような形で進んでいきます。普段見ている世界が、目の前で歪み、崩れ去っていくのか、それとも元の世界の形を保ったままでいるのかは、あなた次第です。
薄っぺらな毛布に埋もれて寝静まっている人々の間を、七時間近く座りっぱなしだったがためにぱんぱんに浮腫んでずっしりと重たくなった足でそろりそろりと静かに進んでいき、ようやっときんと冷えた闇夜の空気を鼻にする。出入り口の最後の段差を降り切ってバス停の床の硬い石畳を足にすると、背後でプシュウと空気が漏れるような音がして扉が閉まっていくことを知る。振り向いたときには、乗ってきた夜行バスはもう先の方へと進み始めており、やがて煙たく、ややつんとして酸っぱくもある排気ガスが顔いっぱいにぶ
今、わたしは文を読んでいる。この黒く縦に羅列された文字の並びに目を通している。ところが、一度この黒く細い線で描かれた文字たちに目を向け、その意味するところを読み取ろうとすると、わたしは立っているのか座っているのかそれとも寝転んでいるのか、そんなことすら忘れてしまう。 試しに、この文章から目を上げてみよう。いや、君は目を上げただろうか? この文字の羅列をまだ見ているのであれば、君は目を上げてはいない。だけれども、わたしには、この文字たちの向こうに見える部屋の景色の諸々があり
川沿いの土手、わたしたちが歩いているところのその先に、台の上に斜めに立てかけられたキャンバスに向かって、ちっぽけな折りたたみ椅子に座りながら休む間もなくすごい勢いで手を動かし続けている人がいる。ところどころに白い雲が浮かんでいる快晴の下、白いシャツを着ているその姿は、日の光を反射して真っ白に輝いており、目の中に浮かび上がるような眩しさを伝えている。そういえば、わたしは、もう何年も絵を描いていないな。最後に絵を描いたのはいつだろう。あれは、この人と出会う前、わたしがまだ学生だ
引越し前の散策川崎は高津区に住んでいる僕は、近く引っ越すことになったので、先の週末はパートナーと近場でまだ行きそびれていたところ、生田緑地へ行くことにした。 3年もこの地に住んでおきながら行ったことがなかったことは、のちになって後悔するわけだけれども、その原因となった岡本太郎美術館の存在は、実はこの緑あふれる公園に至るまではほとんど忘れていた。 とはいえ僕はそれまで岡本太郎を意識したことはほとんどなかった。 僕の記憶の中にある直接的に体験した岡本太郎といえば、小さい頃に
目の前を、一人の少女が走っていく。さらさらと流れるように揺れている川の土手の草花の間、髪を振り乱し、必死な形相で、カーディガンの下に寝間着を羽織った体のまま、一心不乱に走っている。 私は少女をキャンバス越しに目で追った。右から左へと駆けていった少女は、休むことなく走り続ける。その様子は、もうじき昼になることを知らせる長閑な高い日差しの下、土手を川沿いにのんびりと行き交う家族連れやカップルが多い中で、私の心を掴んで離さなかった。 彼女が見えなくなった頃、私は目の前に置いた
どこかで学校の鐘が鳴る。こんなときでも鐘だけは動いているんだ。でも、その響きはとてつもない風のとてつもない音にかき消されて、瞬く間に私の耳から消えていく。 ああ、まだ眠いよと、私はゆっくりまぶたを閉じる。風はまた、ガタガタ、ガタガタと、頭の先にある窓ガラスを揺らしている。 今日はもう、寝させてはくれないのね。そう思った私は、今度はゆっくりと目蓋を開け、暖かい布団に包まれた重たい体をじんわりと腕で持ち上げて、膝をついた。カーテンの隙間から、薄黄色く光る朝の太陽の輝きがちら
きらきらとした出会いや、イベント、経験なんてものはいらないんだ。 ただ感覚に従い、自分の創りたいものや理想を、こつこつ地道に創っていく。 今みたいな時期は、そういう地に足のついた創作活動がより大切になっていく。 自らの中から湧き上がってくる信念を、こつこつ形にしていこう。
物語を綴るとき、登場人物の名前がどのような響きを持っているかは、とても大切な要素です。 この場にはこの名前のものでなければ存在できないということもあるし、名前の響きがどうであるかで、その人の行動はかなり変わってくる。
どんな問題でも、結局は人の心の問題が根っこにある。 コロナにしてもそう。 対応の遅れや、静かになった街とは裏腹のやかましい清濁混合の情報にしても、不安やしがらみといった煩いが根っこにある。 だからこんな時でもやっていかなきゃいけないのは、人としてどう生きるかを考えること。
喜怒哀楽があるのが人間。 それを忘れてしまうのも人間。 だから、それを思い出すために、僕らは人に触れ、物語に触れる。
今はまだその手法が発展途上で、僕自身も無名だけれども、僕の小説とその書き方は、必ず世界に大きな爪痕を残すと感じている。 それは、これまで何人かに、二十代半ばまで小説をほとんど読んでこなかった僕が、どうして今頃になって小説を書き、また語るようになったかを説明したときに受けた手応えがあるから。 そんな僕に今必要なのは、哲学、文学、芸術、社会、科学、人間について横断的に語れる今より多くの仲間と、小説における実績、そして何より僕自身がより多くの作品を書き、またそのためにより多
恥ずかしげもなく、自分の感じたことを全身で表現しているような文章に、僕は出会いたい。 そこから始めなければ、言葉は読者に何も伝えないし、この世に何も残さない。
一面に広がる大草原は、僕の鼻にふんわりとした柔らかな香りを届ける。空は透き通った水色をしており、そこにところどころ浮かぶ雲は白く、そのふかふかな感触が手に届くようだった。 深い岩の谷間を抜けた僕たちは、乗っていた馬を降りた。足を下ろすと、草の生い茂った大地のふわりとした感触が、ブーツ越しにも感じられた。 「ここはまだ、生きている」 叔父が大地に跪き、その草を手に取って語った。 「ええ……僕も、そう感じます」 さらさらと、少し冷えた空気を胸いっぱいに吸い込み、僕
外は雨が降っている。ぱらぱらさあさあとと聞こえる雨音は、家の中のひとときを間断なく静かにする。 本を手に取る。だが雨音が気になって頭に入らない。ぱらぱらさあさあと聞こえる雨音は、落ち着いていながらも僕の胸を掬い上げて離さない。 「なあ」と僕は語りかける。「今日は何も書く気が起こらないんだ」ああ、そうかそうか。 日は蕩蕩と暮れていく。昼はまだだというのに。暗い灰色の世界で揺れるのは、ただ、雨。 外は雨が降っている。ぱらぱらさあさあとと聞こえる雨音は、家の中のひ
少し前、ある友達が僕の書きかけの長編を読んで、そこで描かれている主人公がこんなに優しい登場人物に出会えるのはずるいと口にした。 いや、ずるくはないんだ。 なぜならそのずるい出会いに、君自身もこの小説を通して出会っているからだ。
どんな世界でも、目にしているものは僕らの心象風景です。 その意味では現実も空想も違いありません。 だから現実から人生を学ぶ人もいれば、空想を人生に活かす人もいる。 夢や小説は後者の最たるもので、しかも場合によってはかつての神話のように、現実以上のものを読む人にもたらすのです。