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世界一周 day116【首都キガリ観光 ルワンダ大虐殺について🇷🇼】~世界一周新婚旅行~

8/1、10:00起床。

洗濯をして、昨日の夜飯で残してしまったためにテイクアウトしてたご飯を食べる。

朝に米が食べれるって嬉しいですね。

12:00、家を出発。

千の丘の国と言われるだけあって、坂が本当に多い。

歩いているだけですがアップダウンが大きいため、疲れます。

ルワンダって「アフリカのシンガポール」なんて言われてますけど、それって結構表向きの姿かもしれません。

1本路地を入ると、未舗装のアフリカ感満載な道。

もはやこれでアフリカのシンガポールとか、シンガポールの人に失礼すぎるでしょって相方はボヤいてました。

30分ほど歩いてこちらに到着。

キガリ虐殺記念館。1994年のルワンダ大虐殺について、様々な展示があります。

日本語のオーディオガイド、20,000フラン(2400円ほど)でありました。ココでケチるのは本当に違う気がしたので、2人で1つシェアする事に。

実際に虐殺が行われていた現場複数は、世界遺産として昨年登録されました。

ココから先は非常にセンシティブな内容になるので、苦手な方は飛ばしてください。また、写真もなく文章のみでのルワンダ大虐殺の経緯になります。

あくまで自分のアウトプットメインのためにまとめてますので、少々文章のおかしいところや順序がおかしいところがあるかもしれません。ご了承ください。

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まずそもそも、ルワンダ大虐殺とピントくる人はどのくらいいるでしょうか。正直、僕はあいのりで何となく見たことがあったくらいで、詳しい詳細は何も知りませんでした。

ざっくり説明すると、、、

ルワンダ大虐殺とはフツ族とツチ族の対立から生まれた大虐殺で、1994年4月7日〜7月頭に掛けてのたったの3ヶ月の間にフツ族過激派によって、ツチ族+フツ族穏健派が100万人以上殺されてしまった出来事です。アフリカの20世紀史上最悪のジェノサイドとも言われてます。

ある日を境に、◯◯族だからということで隣人同士で殺し合うようになった日常、考えられますか?記念館冒頭でのビデオでの女性の言葉が非常に印象的で「今でも友達を簡単に信じることは出来ない」と言ってました。

正確な犠牲者は把握出来ておらず、記念館では200万人近くとも言ってました。仮にも200万人だとした場合、当時のルワンダの人口は700万人ちょいだったため、人口の1/3近くが殺害された事になります。驚きなのがこれがたったの30年前の出来事である事。

そもそもなぜこんな事になってしまったのか。
ルワンダ大虐殺というと1994年の事のみで説明されがちですが、その本質的なところは単純な問題ではなく、植民地支配の時代まで遡ります。


第一次世界大戦の際、ルワンダはベルギーにより植民地支配される事になりました。ベルギーは植民地支配を円滑に進めるために「分断統治」という手法を取ります。

分断統治とは、支配するものが統治するにあたり、被支配者層を分断させることで容易に統治する方法のこと。

もっと分かりやすく説明すると、ベルギーがルワンダを支配するにあたり、ルワンダ人をツチ族とフツ族に分類。自治権をツチ族に与えることにより、フツ族の怒りはベルギーではなくツチ族に向く事になります。こうやってベルギーは第三者として、容易に植民地支配することが出来るようになりました。

尚、このツチ族とフツ族の分類について。鼻が高くて唇が薄い人、すなわちヨーロッパ人に似てる人はツチ族(全体の15%)。鼻が平たく唇が厚い人はフツ族(全体の84%)。という容姿だけによる分類です。ベルギーは、ヨーロッパ人に似ているツチ族の方が優秀である、ということで自治権をツチ族に与えました。

尚、分類された当のルワンダ人たちは、民族的な違いを自分達ですらハッキリと認識しておらず、植民地支配前までは特に差別もなく全員が穏便に暮らしていました。元々は同一由来の民族でしたが、曖昧な違いをベルギーがハッキリと区別した事により、民族間が隔てられました。


1962年のルワンダ独立後、フツ族の人が大統領に就任。その間も民族間の対立は幾度かありつつ、ツチ族は難民として隣国へ逃れていきました。そして1987年、ウガンダにいたツチ族によってルワンダ愛国戦線(RPF)が結成されます。

1990年、ルワンダ政府(フツ族系)vsルワンダ愛国戦線(ツチ族)による内戦が勃発。これをルワンダ紛争と呼びます。1993年、アルーシャ協定により停戦と和平合意がなされましたが、これはあくまで形式上でしかありませんてした。

その間にはルワンダ2代目大統領であったフツ族のハビャリマナ大統領は、フツ族を煽動して「フツパワー」などといってどんどんと国民を煽っていきました。「フツの十戒」も制定して、ツチ族を徹底的に排除する政策へと転換していきます。また、ラジオやメディアによってプロパガンダが展開。コトを積極的に良くない方向へと運んでいきました。(当の本人達はそう思ってないかもしれませんが)

1993年に停戦がなされてから、国連平和維持軍が展開。平和維持活動に努めてましたか、状況は刻一刻と悪化。国連平和維持軍少将のロメオ・ダレールは、国連本部へ兵員増員を要請し続けましたがなんと国連は無視。コレが大虐殺を止められなかった一つの要因とも言われてます。

なぜ無視されたのか、それは同時期にヨーロッパでユーゴスラビア紛争(9-10月辺りにバルカン半島に行くので、その時詳しく勉強します。)があったため。国連本部や世界にとっては、アフリカの小国の内戦なんて世界経済に何の影響もなかったのです。

1994年4月6日夜、ルワンダ大虐殺のキッカケが起こってしまいます。ルワンダのハビャリマナ大統領とブルンジの大統領を乗せた飛行機が、キガリ国際空港に着陸する際に何者かによって撃墜。ツチ族もフツ族もお互いが犯人だっと言い合いました。

そして、1994年4月7日。フツ族過激派の主導で、事故の翌朝から街中にはバリケードと検問が張られる。ツチ族は徹底的に殺されて、穏健派であったフツ族も殺されていきます。

街中ではツチ族がいないかを徹底的に炙り出し、とにかく大人も子どもも関係なく、苦痛を味わせて殺していく。

教会逃げ込んだ人もたくさんいましたが、それらの人も神様の前で次々と殺されていき、教会は殺戮現場と化してしまいました。

コレ以降はルワンダ大虐殺として、ネットに色々な詳細が書いてあるので省きますが、たったの3ヶ月の間に推定100万人以上が命を落としてます。

飛行機事故をきっかけに大虐殺が始まったと言われてますが、近年になってフツ族による用意周到なツチ族撲滅計画があったこともわかってきました。事故はあくまでキッカケであり、もしかしたらそれが無くとも何かしらのキッカケで悲劇は起きていたのかもしれません。

その後、虐殺に加担した人は隣国コンゴ、タンザニア、ケニアなどにも難民として逃れていきました。難民問題として、その後にまた違う大きな問題を残しています。

また、虐殺に加担した市民はガチャチャと呼ばれる、一般市民による裁判で裁かれていきました。


と言ったところで説明は終わりますが、
この結果によって孤児が増えたり、障害者が増えたり、国民全体のトラウマとして残ってしまったり、ただの虐殺ではなく今も根強く問題は残ってます。そこからルワンダは、国の政策によって奇跡の復活を遂げる事になりますが、まだまだ課題は山積み。

国連などの対応含めて、世界からの無関心が結果的にこのような悲劇を生んでしまったとも言われてます。自分の日記をココまで読んでくれているあなたに、どうしてもお願いが1つあります。

是非そのままsafariでもChromeでも開いて、自分の手で「ルワンダ大虐殺」について調べてみて下さい。

たぶん自分の説明では補いきれてないところも大いにあるし、単純な問題ではないんだなと強く思いました。マザーテレサの有名な言葉「愛の反対は憎悪ではない、無関心である。」ではないですが、ココまで読んでくれてるあなたには、自分なりに調べて、理解して、解釈してほしいなと思います。

それではココまで読んでくれてありがとうございました。

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さて、14:30。

キガリ虐殺記念館を後にして昼飯を食べに行きます。

キガリは大量のバイクタクシーが走ってます。

聞いてみたところ市内までの2.5kmで700フラン(百円弱)だったので乗る事に。

目的地はこちら。

ホテル ミル コリンズです。

こちら実際にルワンダ大虐殺の際、ツチ族を匿ったホテル。『ホテル ルワンダ』というルワンダ大虐殺を描いた映画のモデルにもなっており、この映画は日本帰ったらしっかりみようと思います。(蔦屋で借りるしかなかった)

そしてキガリ市内をお散歩。

ゴリラの国だけあって、ダウンタウンのラウンドアバウトにはゴリラがいます。たぶんイッテQのロケでココの場所、みたような気がしますね。

そして昼飯はこちら。

15:00、ローカルで賑わってたsimbaレストラン。

ハンガーバーで600円。見た目よりも味はしっかりしてて、美味しかったです。

そのあとはスーパーへ。
キガリのチームでしょうか。サッカーのユニホームですね。

スーパー到着。

広いは広いけど、品揃えはやや微妙。
内陸国だから、日本人でも知ってるようなものは中々入ってきにくいんでしょうか。

大量のインドミー(アフリカで人気のインスタント麺)が印象的で、今日の夜飯にします。

17:00前、宿へ帰る。

とにかく

とにかくキガリはバイクもすごい。メトロなどの手段がないから、車の交通量も多いですね。

17:30、宿に帰宅。

19:00、作業などをしてたらゴキブリ1匹また見つけてしまいました。カーテンを歩いてたので、殺虫剤で殺す。もう出てくるなボケ!

夜飯を食べて、ゆっくりして、
0:00就寝。

明日は何しようかしら〜。
キガリではまだ5日間あります。

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