
わが子が心配。口出ししたくなったら。
・もっとテキトーにやればいいのに。
・そこは気にしなくていいのに。
・嫌ならやめればいいのに。
真面目で丁寧で繊細なわが子にかける言葉。頑張ってるのに嫌な言葉。
というか頑張りすぎるから、
疲れちゃうよって心配になる。
(心配になるのも無理もないのだけど。)
『わが子が頑張りすぎる』は解釈でしかない。
頑張りすぎるなって言ってもがんばる。
じゃあ、私のモヤモヤする気持ちどうしようかな。
『相手がどうであれ私がどうしたいかを自分に問う』
って言うのは簡単!
するのはむずかしい!
わが子の言動でモヤモヤ気持ちが動くということは、わが子の言動で安心したい私がいるということだ。
私の安心は、わが子次第。
他人軸。
境界線をひいて自分軸に戻すには、
私が安心すればいいんですね。
わが子がどうであれ私は私の力で安心する。
わが子の『頑張りすぎる』が、安心を求めてやっていることだったとしたら。
頑張りすぎることを否定されなかったら、どんな自分でも受け止めてもらえたと感じて安心するかもしれない。
そのためにもまず自分が安心する。
どうやって安心するかというと、
安心している人とつながること。
そして私も、安心したい人に安心を循環します。