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絶品絶妙・初めての小説体験をしました。『ここはすべての夜明けまえ』

すごい小説を読みました。

二一二三年十月一日ここは九州地方の山おくもうだれもいないばしょ、いまからわたしがはなすのは、わたしのかぞくのはなしです。

間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』早川書房より

冒頭の一節です。

融合手術でサイボーグとなった不老の25歳の女性が
家族全員が亡くなったあと、記憶を辿りながら
一人称で家族史を綴っていく。

ご覧の通り、文章はほとんどひらがなで書かれています。

こういう具合に漢字は飛び飛びにしか使われず
句読点の打ち方も独特で、
最初のうちは読みにくい事この上ないんです。

コンピューターやたん末はもううごかないからこれは手がきです、
(中略)
めんどくさいものはだいたいひらがなでかいてしまおうとおもってます。

間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』早川書房より

読みづらさに耐えながら5〜6ページも進むと、もうクセになってくる。

少女らしいサイボーグが、誰もいない山奥の家屋で漢字をめんどくさがりながらも、誰かにこのことを伝えたくて一文字一文字を一所懸命に書き進めていく姿が新鮮な臨場感で浮かんでくるのです。

こんな小説体験は初めてでした。

本を買ったきっかけはこちらの記事。

いつも楽しく読ませて頂いてるnoterさんに
抱きしめたいほど手放せない一冊、なんて言われると
もう買うしかなくなりましたね。

おすすめされてなかったら、パラ読みしてひらがなの羅列に面食らい、たぶん買ってなかったと思う。

その独特な文体がクセになってからは、ページをめくる手が止まらない。

続きが気になるのではなくて
未体験な世界観から出て来たくなくなってしまうのです。

おしゃべりができなくてさびしいです、ほんとうはだれかとしゃべりたい、でもたぶん人間はいろいろあってもうみんな死んですくなくとも家のまわりにはだれもいないから、しゃべるようにかけないかやってみようとおもってます。

間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』早川書房より

そんな異彩で柔らかい空気感に浸っていると
時折ドキっとする一節が放り込まれる。

これは!と感じたものに付箋を貼っていくと
こんなになりました。

本書の素晴らしさをお伝えしてみたくて今この記事を書き進めているわけですが、正直、まだ整理が追いついていない。

作者が作り出した世界への強烈な没入からやっと帰ってきたところです。

なので今回は、付箋を貼った箇所を中心に読み返しながら
記事を書き進めつつ、本書の魅力の深いところまで手が届けばいいな、と考えています。

どんな結論になるかわかりません。
結論すらないかもしれない。

本書はサイボーグという人間じゃない存在を主人公に据えて、周りの人間と接触させることでそのリアクションも含めて、人間そのもののあり方を浮き彫りにさせていく、という構造はあると思います。

たぶんそういう枠組みで読み進めていくことになるのかな。

あっ、ネタバレ全開でいきますのでご注意ください。

読んでない方でも物語を追えるように書いていきますが、
まっさらな状態で作品に向かいたい方はこのへんでストップしたほうがいいです。読み方を狭めてしまうともったいない。

さっき構造云々とか書きましたが、きっとそれもほんの一つの角度を切り取ったにすぎません。
本書の読み方はもっと幅広くて、いろんな解釈が生まれるタイプの作品だと思います。

・・・

では最初の付箋から。

主人公の「わたし」がなぜ融合手術を受けたのかが語られる場面。
「わたし」は生まれつき病弱で、食べたものを消化できずすぐ戻してしまう身体だった。
気分が悪くなって睡眠もままならず、昼夜逆転して10歳のころ学校に行けなくなりほぼ寝たきり状態に。
そんな「わたし」を憐れむ父は過保護な愛情でべったり寄り添っている。

あんまりほしいものとかもなくわたしはおしゃべりができればよかったから、おとうさんを相手にえんえんおしゃべりしておとうさんはわたしのはなしをずーっとにこにこしながらうんうんってきいてくれました、(中略)
つくってくれたごはんを毎回吐いてもおこらないおとうさんで、
本当に気持ち悪い親子だな。
いつの日か吐きすてるようにいったこうにいちゃんはそんなおとうさん
がずっときらいでした、

間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』早川書房より

唐突に漢字が差し込まれて心無い言葉が強調される。

柔らかいひらがな世界に没入し始めたころ、急にドス黒いものが投げ込まれた具合に。

ドキッとして思わず付箋を貼ったわけです。

どうして「わたし」はこの部分だけ漢字で書いたんだろう。

画数の多い文字はめんどくさいからひらがなで書くと宣言しておいて、
例外を作ったのはなぜ?

付近で同じように画数の多い文字が漢字で書かれている言葉を並べてみます。

・アスノヨゾラ哨戒班しょうかいはん
YouTubeに投稿されたMVで、「わたし」が何万回も聞いた大好きな曲。生きる希望の一つだった。

自発的幇助自死法に基づく安楽死措置
「わたし」が融合手術を受ける前に検討した合法的な措置のこと。
「わたし」は、生きる辛さに耐えきれず自死を望んだのだ。その告白の文章で急に差し込まれた漢字の羅列。前後はひらがなばかり。

・人間の感情爆発暴発勃発
「わたし」が安楽死を望んでいることをお父さんに打ち明けた場面で、それを聞いたお父さんの様子を描写するのに使った言葉。
この画数の多さはやばいですね。手がマシンじゃなくても書くのがめんどくさい。

電王戦 FINAL への道 永瀬拓矢
「わたし」がYouTubeで見つけた大事な動画のタイトル。
融合手術を受ける直前に医者の説明を受けたあと、唐突に差し込まれる将棋の話。筆が踊るようにご機嫌に書かれるこの話題の間は、漢字が多用された。

(僕はほとんど毎日アプリで将棋を指すくらい好きなので、興奮しました。
その扱い方が絶妙。ここにも違う意味で付箋を貼ったので、後で詳しく掘り下げます。)

・・・

これらの共通点はなんだろう。

自分の好きなYouTubeのタイトルは正確に書きたい、というのはありそう。
リスペクトの気持ちがあればめんどくささなんて超えちゃってもおかしくない。

2つめと3つめは、冷ややかな響きがあってショッキングな意味の言葉だ。
「本当に気持ち悪い親子だな」と同類か。
めんどくささを乗り越えてこれらの言葉で何を表したかったんだろう。
無意識に漢字で書いた可能性もある。
だとしたら何の発露だったんだろう。

ちなみに、「わたし」の脳は、半分がサイボーク化されて半分は人間のままです。
だからその半分のところで無意識が動作してもおかしくはない。

脳にメモリが刺さっているから、漢字の情報としては貯蔵されているはずなので、そこにアクセスしてまで漢字をひっぱってきたことになる。
そしてめんどくささを乗り越えてその漢字を本文に記入した。

何がそこまでさせる?

わからなくなってきました。

最初並べてみたときは、感情が大きく動いた部分が印象的だったので、その印象深さに合わさって漢字が引き出されるのかもと思ったけど、そんな単純じゃなさそう。考えすぎかな。

あっ、この問いのヒントになる箇所があったのを思い出しました。

がっかりはいつもあざやかです、

間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』早川書房より

はっとする感情の吐露。
上でご紹介したタカミさんの記事でも取り上げられていた一節で、ここを読んで本書を買うことを決めたんだ。
こんな妙味のある感情の形は、思いつかない。すごい。

がっかりはいつも鮮やかに感じられていたということは、
その鮮やかさを再現するために漢字を使ったのかも。

少なくとも、YouTubeのタイトルとも共通して、「鮮やかに」置いておきたいものは漢字を使った、と言えるんではないか。

それには「がっかり」も含んじゃうけど。

僕の結論はこんな感じかなあ。

あなたはどう考えますか?

・・・

付箋の1枚目でここまで掘り下げてしまうとは、思いませんでした。
すいません、これ以上長い文章にするには集中力が保たなそうです。

続きは次の記事に託して、
一旦アップしてあなたの考えやここまで感想をお伺いできたら嬉しいです。

次に貼った付箋は、将棋の話のところです。
さっき軽く触れた通り、将棋で表す感情が大きな意味を占めていて、将棋ユーザーとしては深く突っ込みたい内容なのです。

お楽しみにどうぞ。

お読みいただきありがとうございました。

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たくまる
ここまでお読み頂きありがとうございました。 こちらで頂いたお気持ちは、もっと広く深く楽しく、モノ学びができるように、本の購入などに役立たせて頂いております。 あなたへ素敵なご縁が巡るよう願います。

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