片田珠美『怖い凡人』-正直であるがゆえの生きにくさ-
まず最初に本書の公式紹介ページと概要のリンクを掲載しておく。
0. 導入
本屋にはよく行っていたが、これまでは欲しい本が明確な状態で行くことが多かったため、それ以外のコーナーを見ることは少なかった。久しぶりに読書をしようということになりぶらぶらしてみると、案外面白いものだ。インターネットでは検索すればなんでも出てくるものの、興味がないものにはなかなかアクセスできない。本屋をぶらつくと思わぬところに目を引く書籍があったりする。仕事もほとんど在宅でできるようになり、オンライン中心の生活に慣れてはきたが、オフラインにはオフラインの良さがあることを再認識した。
1. 書籍の概要と見解
さて、今回取り上げる「怖い凡人」も、本屋でたまたま見つけたものである。著者の片田珠美は精神科医であり、精神分析の観点を含んだ書籍をいくつか執筆している。我々は一般企業、医療機関、官公庁、教育現場等様々な組織の一員として生活している。多少の能力差はあれ、構成員のほとんどは凡人(明確に悪意を持って行動することはない、という程度の意)である。そのような凡人が組織内の上下関係等を気にするあまり不適切な判断をして問題を発生させたり、周囲の不適切な判断や行動を止めることができずに、意図せず問題を大きくしてしまうことがある。本書は凡人が周囲に悪影響を及ぼすことについて、ナチスのアドルフ・ヒトラーに従ってユダヤ人虐殺を推進していたアドルフ・アイヒマンに見立てて「アイヒマン的凡人」の思考や行動の分析からひも解いているものである。
本筋とは関係ないのだが、何かの話をするために例としてナチスやヒトラーを持ち出すと、書籍自体をすごいものと錯覚してしまう読者が現れると思うため、この手法には賛同できない。本書では一貫して「アイヒマン的凡人が能力に見合わず高いポジションにつくとヒトラー化しやすい」ことが前提となっているせいか、裏表紙に「あなたの隣人が“ヒトラー”になる瞬間」と大きく記載し目を引くようになっている。これは商業上の理由によるものと推察されるが、ナチスやヒトラーが行ったことそのものは本書とは関係ないため、著者は虎の威を借る狐ではないかとも思えた(ちなみに著者は、日大悪質タックル事件の内田氏や、ボクシング協会の山根氏について、背後に日大理事長や暴力団の存在をにおわせてチームを支配した虎の威を借る狐であると述べている)。
話を戻す。罪悪感なく恐怖で人を支配するようなヒトラーのような人物は、おそらくどの組織にもいる。ヒトラーが組織にいない方がいいと考えて戦う部下がいればよいのだが、立場上ヒトラーの方が上であるため、職や収入を失うリスクを負って戦うよりも戦わずに服従することが部下にとっては合理的な判断となることがある。例えば自分が有名企業の社員であり、ヒトラーとの闘いに敗北して会社を去ったときに承認欲求が満たされなくなると不安に思うことは、アイヒマン的服従をする動機となる。また、組織全体がヒトラーの方針に賛同しているときに自らが反対することがしにくい「空気」であることも判断の要因となろう(この「空気」や同調圧力については別の機会に考えてみたい)。ヒトラーに服従すると組織の自浄能力が低下する負のスパイラルに陥るのだが、このことに気づいていない組織も多いかもしれない。
2. 正直な凡人として生きていきたい
本書ではアイヒマン的凡人による被害の実例がいくつか挙げられているが、ここでは紹介しない。結局のところ、アイヒマン的凡人がヒトラーに服従したり自己保身したりすることは処世術の1つであると本書では述べられている。アイヒマン的凡人の被害に極力あわないようにするためには、すべての人に対して疑いのまなざしを向けるしかない。なぜ、真っ当にあろうとする人がいらぬ警戒をしなければならないのだろうか。現代は(歴史的にも?)アイヒマンやヒトラーの方が生きやすいのだろうか。これは個人的な意見だが、国家公務員になれるような人など、多少賢い人の方がそうでない人よりも、ヒトラーに反対してもどうせ聞き入れてもらえないから反対することに時間を割きたくない(=アイヒマン的服従をする)と判断しやすいのではないだろうか。国家公務員は国民のために仕事をするべきと思うが、国や政府、省庁、自分自身のことしか考えていないから公文書改ざんなどが行われてしまうと推測している。現時点でアイヒマンやヒトラーの素質のある人が本書を読んでも自分事と思わないかもしれない。私はそれが恐ろしい。私は組織のためではなく自分のために、正直な凡人として生きていきたい。