姪を泣かした主人と艶書事件【#吾輩は猫である読書感想文10】(毎日更新92日目)
「吾輩は猫である」の第十幕の読書感想文であります。
長い長い物語もようやく九割ほどまできました。
毎日一章ずつ読んでは読書感想文を書いています。
一章読むのにけっこうなスピードで音読しながら約2時間半かかります。
ちなみに音読しているのは前頭葉の活性化と腹圧が鍛えられるからやってます。
つまり頭がよくなるのと健康になるから音読しています。
吾輩〜こんなに大作だとは思いませんでした。
おそらくトータルでこの本を読み切るのは速読でなく通常の読み方だったらゆうに20時間くらいかかるものだと思われます。
文字数にしたらどのくらいあるんでしょうね。
調べてみたら
『吾輩は猫である』は青空文庫で公開されている夏目漱石の長編作品。343,248文字で、おおよそ1時間〜で読むことができます。
「青空文庫」
34万文字ってものすごいですね!
書くのは尋常じゃないくらい大変だったろうと思います。
漱石はこの処女小説を皮切りにして、立て続けにヒット作を短期間のうちに連発していきます。
忙しすぎてだから早くに亡くなってしまったのではと思ってしまいますね。
手塚治虫もそうだと思う。
書きたいものが自分の中からあふれてあふれてしょうがなかったんでしょうね。
この大作、読みだしたはいいものの途中で挫折した人も多かろうと推察されます。
ぼくはもうここまできたら全部読み切ってすべて感想にして現してやろうと多少意地になっているところもあるかもしれませんが、もう少し。
第十幕のあらすじ
今日は主人は泥棒された盗難品をひきとりに警察署まで出かける日だ。
いつも朝寝坊だが細君にしつこく促されいやいや起きる。
顔を洗い髪を分けたら朝の食卓につく。
まだ小さい三人の娘たち、珍野とん子、すん子、めん子が騒々しくご飯を食べているのも毎朝の光景だ。
しばらくして主人は出かけ、子どもたちは三人で遊んでいる、しばしの平穏な時間。
そこへふいにやってきたのは主人方の姪の女学生・雪江。
たまに来ては主人とよくケンカしている。
祭日で学校が休みだから姪は遊びにきたのだが、自分の学校での話に始まり、細君の主人に対する不満や二人がかりで主人に対する不平や彼の操縦方法などについてガールズトークが炸裂。
しばらくして帰ってきた主人は警察の帰りに教師のくせに署の近くの吉原へ偵察にいって変な花瓶を買ってきてご機嫌の様子。
姪のほうはというと、先程のガールズトークの流れから主人にちょっかいを出すと、主人に論理的にやりこめられて、この前あげたこうもり傘返せって言われて泣かされちゃいます。
なんとも大人げない二人のやりとり、とくに主人がね。
でも吾輩はこの様子を見て、我が主人はその頑固な性質でもって、いつも波乱をおこしてくれるからありがたいと感謝する。
主人のあとにくっついていけば一生退屈することはないだろう、嗚呼我が主人。
そこへ本日起こったもう一つの事件。
訪ねてきたのが主人が学校で担任している生徒。
大きなイガグリ頭の古井武右衛門だ。
えらく神妙な面持ち。
聞けば彼は友達と3人いたずらの一環で金持ち金田の娘・富子に艷書(=ラブレター)を出したのだそう。
その時に差出人として古井君が名前を貸したものだから、いたずらとわかって大事になったら自分が退学させられてしまうのではと心配で相談にきたのである。
退学にでもなったら困ります、先生どうしたらいいでしょうか?というわけだ。
担任の生徒とはいえども、自分の利害に関係のないことにはあまり興味がない苦沙弥先生。
「そうさなあ」
「そうさなあ」
ばっかり言ってあんまり真剣でない。
そのうちさらに寒月君が先生ー上野動物園行きましょうよー
って遊びにきたもんだから、先生そっちで話し込んでしまって
古井君こりゃダメだとあきらめて、しょんぼりして帰ってしまった。
この様子を襖をへだてた隣の部屋で聞いていた姪と細君。
人の不幸が楽しいのかクスクス笑っているといった具合。
それにしても、寒月君がお客にきたから細君がお茶をお出ししてと姪に頼むがなぜかとりあわず、もじもじしてなんか様子がおかしい。
寒月君がきてから様子がおかしい姪だが、もしかして⋯。
感想
この物語が書かれたのは約120年前で明治時代まっさかりなのですが、姪と細君のガールズトークなんかは今と少しも変わらないなと思いました。
嫁姑問題の話なんかも途中で出てくるので、人間は20世紀だろうが、21世紀だろうが同じようなことを話し、同じようなことで悩んでいる、ある意味進歩のない生き物だという感想です。
でもこのいつも変わらない人間の世の中というものがなんかホッとする気持ちもいたしました。
舞台は東京ですが、今回の話は吉原や上野動物園などが出てきて当時はどんな感じだったんだろうとふいに知りたくなる場面もたくさんありました。
吉原はとくに興味あるから調べましたけどねっ(笑)
この当時は吉原の入り口には大門と呼ばれる大きな鉄の扉があったようですね。
吉原大門
こちらが現在
なぜ壊しちまったんでしょう。
関東大震災で壊れちゃったのかな?
そんな風に当時の歴史や様子を知りたくなるのが、この小説を読んでいると感じるところです。
時代のことをよく知れば今よりもっと深く読めるし、さらに笑える場面もたくさん出てくるんじゃないかなと思っています。
ぼくは吾輩は猫であるを毎日一所懸命読んでいましたら、日本の歴史についてもっと知りたいなと思うようになってきました。
読書で視野が広がっていくというのはこういうことから言うのかもしれないなと感じています。
とまあそういったわけで第十幕はこれまで。
それでは今日はこのへんで
またあした。