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『吹上奇譚 第四話ミモザ』吉本ばなな
僕はホラーってあんまり得意ではなく、というか苦手で、本も、映画も見ることはほとんどないのだけども、吉本ばななさんのこの『吹上奇譚』は気になったので、読んでしまった。ホラーと言えばホラーなのだろうが、でも、何だかそんな怖い話があるわけではなく、日常とホラーが混ざっている。よくある人を怖がらせようと思っているものではなく、日常の中にあるホラーがコミカルに描かれているとでも言えばよいだろうか。
というか、そもそも一般的に言われるところのホラーとは違うのかもしれない。まあ、それはジャンル的な話になるのだが、ここで描かれているのは、小さな街で起こる不思議な物語。ある種現実的にはいないとされるものが登場したりするから、ホラーと呼ばれるのかもしれないが、そういうことを言ってしまえば、そもそもリアルの人生だって、ホラーだらけなのかもしれない。
そういう現実というものとの対比、目に見えるものと見えないものとの対比によって、ホラーだとか何だとかという言葉が生まれてしまうのかもしれないけれども、見える人には見えるし、見えない人には見えない。それでいいのではないだろうか。見える人の見えるものを見えない人が見たいと思う。その隙間、欲みたいなところに、色眼鏡をかけたまま見てしまうから、それが恐ろしいものとかに見えてしまうのではないだろうか。幽霊、お化けと言われるものも、怖いものから、キュートなものまで色々と描かれる。実際にそういうものがいるのか、僕にはわからないけれども、でも、そのように見える人にはそのように見えるのかもしれない。
きっと見えるか見えないかはそれほど重要なことではなく、見えているのにそれが当たり前すぎて、周りの人が見えていないことに気が付かず人生を終えてしまっている人ももしかしたらたくさんいるかもしれないのだから。ただ、それよりも、それとともに生きていくというか、そういう世界に生きているのだから、ただそういう世界を生きる。時には生きにくい時もあるかもしれないれどもで、その世界でしか生きられないのであれば、その世界で生きるしかない。それは見えていようが、見えていまいが、どっちにしたって同じで、僕たちは生きている世界を生きなければならないのである。
ただこの本のあとがきで、「特に何が起きるわけでもなく冗長なので優れた小説とは言えないかもしれないこのシリーズなのだが、けっこうたくさんの生きる秘密や世界の成り立ちへの今のところの結論が潜んでいる。読むとそれだけで心の底にたまり、後からじわじわと効いてくるタイプの作品ではないかと思う。」と著者が語るように、何だか不思議な世界を旅している感じだけれども、どこかそこには真実というものがあるような気がするのだ。
僕はそれほど多くの小説を読むわけではないけれども、でも、このような小説を書ける人って、世界的にみても稀なのではないだろうか、と思うのである。読もうかどうか迷っていたこの『吹上奇譚』シリーズも終わってみると、また読みたいな、続きはないのかな、と思ってしまう。一気に発売された訳ではないので、前に読んだ時のこともそんなに覚えているわけではないけれども、でも、またすんなりとこの世界に戻ってこれてしまうのも、これもまた世界の本質をとらえているからなかもしれないと思ってしまう。
どの小説も結局はその人でしか書けないものなのであるけれども、でも、これはやっぱり吉本ばななさんだからこそ書けたものと感じてしまうところに、作家の個性というものがあるのだろうか。
みんな幸せを求めている。でも、求めているということは、完璧な幸せを享受しているわけではないということの裏返しでもある。なぜ人は幸せを求めるのか、人生の真実を求めてしまうのか。でも、その求める力があるからこそ、幸せというものがあり、真実というものがあるのかもしれない。
「後からじわじわと効いてくるタイプ」ということで、あまり焦って結論を出さずに、そのじわじわを味わうことができたらと思う。
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