先生と私
みなさんは「先生と私」という言葉を見て何を想像しますでしょうか。
多くの方は夏目漱石の『こころ』を思い浮かべることでしょう。
先生から私は多くの人生を学び、最後は死をもって教育する話です。ほとんどの人が学生時代に読んだ作品かと思いますので、詳細は書きません。
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みなさんにとって先生と呼べる人が身近にいるでしょうか。もちろんこれは学校の先生ではなくて、人生を教えてくれる先生のことです。
この質問と類似したものとして「尊敬する人は誰ですか?」という質問も挙げられます。
そしてこの「尊敬する人は誰ですか?」という質問への模範解答として、男であれば「父親」、女であれば「母親」と答えるべきだと、私は社会人1年目の頃に上司から教わりました。
自分を社会に出るまで育ててくれて、お金も出してくれて、親に感謝をしない人は人としておかしいと言われました。
確かにこの解答は正しいかもしれませんが、片親の人もいれば、小さい頃虐待を受けていた子供もいるわけです。すべての家庭にこれが通用するかと言われると縦に肯けないです。
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親の問題を書くこと、それだけで1つの記事が出来上がりそうなので、今回は省きます。では親を除いて、私にとって先生と呼べる人は誰か考えてみました。
私は一番に思いついたのは「本」でした。一見「人」ではありませんが、言い換えるのであれば「過去の偉人たち」です。
「本」とは、過去に起こった出来事や経験を後世に残してくれている大切な記録です。
例えば、当時日本人の5人に1人が読んでいたと言われる「学問のすゝめ」を書いた福澤諭吉が今授業を開いてくれると言えば多くの人が参加するはずです。私も参加したいです。
過去に大きな実績を残した偉人たちが書いた本こそ人生にヒントをくれるのです。
「過去」とは、即ち「知識」であり、「知識」は未来を築くための道標です。
To build a future, you have to know the past. Otto Frank
私が一番好きな言葉です。直訳すると「未来を築くために、過去を知る必要がある」ということです。
仮に「仕事に関係がない」と言われても、私は歴史を勉強し続けますし、本も読み続けます。
みなさんにとっての「先生」がいれば、どんな人なのかぜひ教えてください。
ではまた明日。
Taku