【日本習合論】いろんなものを混ぜて複雑にする
オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆
〜習合的なエッセイ集〜
「習合」という言葉を僕は初めて知った。
本書において「習合」とは、「日本固有の土着的なもの」と「西洋からの外来的なもの」が共生すること、を指す。日本文化は本質的に雑種性である。
さて、本書の著者は僕のお気に入りな頭が良くて口の悪いおじ様である内田樹さんの、雑種文化の典型であるはずの神仏習合はどうして無くなってしまったのか?どうして千年以上続いた宗教的伝統が明治政府の政令一本で簡単に破棄されてしまったのか?という問いから始まる。
と、導入はいかにも日本史の難しそうな題材でお堅い内容なのかと思いきや、なんて事はない、「習合」という概念を足がかりにして内田樹さんが考えている日本文化の諸相を論じる内容である。
そのトピックは、若者の行き過ぎた共感文化、農業と市場のミスマッチ、日本的雇用慣行の崩れ、ひきこもりも実は仕事ができること、日本的民主主義の可能性、など、まさに多様なテーマが「習合的」に集められている。
あちこちに話題が飛んでいくので、若干読みにくい感はあるのだが、要するに、「違うものをうまく混ぜればいい結果が生まれるんじゃない?」というテーマのエッセイ集だと思えば、意外とすんなり読める。
〜日本文化の本態、雑種性〜
さて、「違うものをうまく混ぜてみよう」という考え方は、本書によると1965年に加藤周一という人が指摘した日本文化の本態である雑種性からきている。
ざっくりと言えば、日本人は歴史の中で、外からきた文化を自分たちの文化とうまく組み合わせる事で新しい文化や価値観を生み出してきた、ということだ。これに関しては、「日本人はマネごとばかりで0から新しいものが作れない」なんて批判もありそうだが、内田樹さんはこのテーぜは正しいと考えているし、僕自身もそういう日本文化の特性はある意味強みだと思っている。
〜複雑な世の中で生きるために複雑に考える〜
しかし、内田さんは現代ではなんでも簡単に考えることが是とされており、「混ぜて複雑にする」という考え方が無くなってきていることを危惧している。
話を簡単にすると、それだけ人には伝わりやすくわかりやすい。しかし、簡単にしたことで、一つの考えから外れたものを全て誤り、間違いだと考えてしまう。そして、現代は何もかもを「より簡単に」「よりシンプルに」することが求められている。
たしかに何かを複雑にすると、結果が出るまで時間がかかる。特に現代では、短いスパンでの結果を求められる傾向があり、シンプルに物事を進めていくことが正義になっている。
「話は複雑にする方が知性の開発に資するところが多い」という内田さんの命題は僕は正しいと思う。立ち止まっていろんな角度でじっくりと考える、ということを、多くの人がやらなくなった印象だ。
「いろんなものを混ぜて複雑にする」事には、もう一つ大きな利点がある。
それは差別や排除が無くなる事だ。
話をシンプルにすると、その考えに賛成できない者は排除や差別を受ける。
しかし、「いろんなものを混ぜて複雑にする」のは、悪い(と思われている)ものも取り込んでしまう。とにかく色んな価値観を混ぜて、折り合いをつけて新しい価値観をつくればいいじゃないか、となる。
多様性がやたらと叫ばれていたり、混迷をきわめてゆくこれからの時代、話を簡単にしてしまうことは、逆にどんどん歪みを生み出してしまう。現代を生きるには「習合」という考え方は非常に重要なのではないだろうか。
と考えさせられた一冊であった。
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