【異星の客】テーマたっぷりのSF超大作
オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆☆
〜SF界の長老が書く大長編〜
著者のロバート・A・ハインラインは、「SF界の長老」とも呼ばれている多くのSF作家が影響を受けた大作家である。アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークと並び世界のSF界ビッグスリーとも呼ばれていた。
そんな大作家ハインラインの代表作のひとつである本作は文庫本780ページに及ぶ大長編である。片手で読んでいるとほぼ間違いなく腱鞘炎になる(笑)
当初は、英語80万語で書かれていたが、あまりに長すぎると編集者から指摘され、22万語にまで落としたそうである。
さて、そんな大長編には宗教、哲学、思想、言語、精神世界、などなど様々な要素が含まれている。作家として熟したハインラインが自身の思想や考えを多分に盛り込んだ超大作だ。
〜無数のテーマが散りばめられた大作〜
物語は、火星に着陸したチャンピオン号が火星で発見した1人の青年を地球に連れ帰ってきたところから始まる。彼の名はバレンタイン・マイケル・スミスといい、25年前に地球から火星に向かって消息不明となった8人の火星探検隊のメンバーの遺児であり、産まれてから発見まで火星人に育てられた。
火星人に育てられたスミスは地球人とは大きく異なる思想や文化を持っている。そんなマイクは様々な友人・恋人を得て、地球人を理解した後に「世界のすべての教会」という独自の宗教を開く、というのが主なあらすじである。
本書は5章で構成されているが、大きく分けると3つのパートに分けることが出来る。
地球に来たスミスは、かつて争われた裁判の判決に従うと、火星はスミスただ一人が所有することになり、また、第一探検隊の莫大な資産を相続することとなっている。
冒頭からは、この火星の所有権と資産を狙う政府の最高権力者ダグラスとスミスの友人となったジュバルとの政治的な争いが繰り広げられる。
中盤からはスミスが独立して自分だけで地球で生活しようと懸命になる展開から、終盤はスミスが宗教を立ち上げて地球全体に影響を与える展開へと繋がる。
政治的な風刺から始まり、既成宗教をおちょくりながら、現代の倫理的価値観を問いながらタブーをつつきまわす。セックス論、芸術論にいたるまで、無数の風刺とユーモアが本作には散りばめられていて、この一つの作品だけでいくつもの長編がかけるくらいのテーマがある。故に、この作品を一言で表すのは非常に難しい。場面場面で、語りたくなるテーマが変わっていくからだ。
〜言語と思想、文化〜
さて、本作を一言で語るのは難しいのだが、一つ大きなテーマを僕なりに言うのであれば、本作は「思想や文化と言語は密接な関係にある」という点が重要だと思うのだ。
火星人であるスミスは生まれた時から火星語で話すため、地球語(本作では主に英語)を最初はうまく理解できない。
この「理解できない」という度合いが非常に面白いのである。
例えば、全てが一体化している火星人にとって、欲や裏切りという概念がない。そのため地球語の欲や裏切りという単語を辞書的な意味で分かったとしても、本質的な意味を理解できない。
死という言葉も、火星語でいうところの「分裂」という言葉にあたるのだが、火星の文化や思想の中では、死は死ではない。
逆に、本作の中で頻繁に出てくる「グロク」という言葉。これには邦訳では「認識」という単語にルビを振られているのだが、当然地球語での「認識」とは違う。
グロク、という言葉は「理解する」の他に「愛する」「水を飲む」というような場面でも使われる。おそらく、表面的な理解よりも深く内面的な理解のことを指しているのだろうが、はっきりとした意味はわからない。これに当てはまる地球語は無く、その本質的な意味を認識(グロク)することは出来ないのである。
物語全体を通して、この地球と火星の言語、文化、思想のズレが非常に面白い。地球における現代的な常識を疑うことすらしてしまいそうな構成には脱帽ものである。
さらに、終盤のスミスが設立する宗教の教義は地球と火星のズレた文化・思想をうまく組み合わされたものなのだが、新しく生み出された価値観として非常に説得力がある(特に、終盤の「愛」に関するスミスの考察・解釈は非常に興味深い)。
この一作で、ハインラインの凄さを思い知らされた。一体どんな頭してたら、こんな物語が構想できるのだろうか。
なお、本作に関する有名な話で、本作はヒッピー文化の経典として崇められていたそうである。もちろん、本作を読めば、ハインラインがそのような文化を奨励していたわけではないことは明らかなのだが、確かに本作で語られる思想は世界観すら変えてしまいそうなほど刺激的である。
実際に「グロク」という言葉は、後に英語辞典に掲載されたそうだし、スミスが作り出した宗教と同じような宗教が現実にも出来たそうである。
社会に影響を与える物語には、やはりそれだけのパワーがあるのだと痛感させられた一作であった。