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【ファーストラヴ(ややネタバレ)】男性は自信を持って戸惑いながら読むべし
オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆
〜純文学的サスペンス〜
第159回直木賞を受賞し、ドラマ化映画化もされた本作。「なぜ、彼女は父を殺さなければならなかったのか」というコピーから、いかにもエンタメサスペンス小説のような様相をしているが、解説を書いた朝井リョウさん曰く、作者の島本理生さんは何度も芥川賞候補に挙げられる作家さんであり、大衆小説と純文学という区分けを敢えてするのであれば(こんな区分けも今では曖昧になってきているが)、島本理生さんは後者だそうだ。
女子大生の環菜は、なぜ父を殺したのか。
その真相は単なる謎解きではなく、環菜の内面に深く深く潜り込んでいく事で明らかになっていく。
少女の内面に潜り込んでいく本作は、正直なところ、男性である僕はところどころ戸惑いながら読んでいく事となった。
〜グレーゾーンに潜む複雑な心理〜
*ここからややネタバレ
さて、男性である僕がなぜこの作品を戸惑いながら読んだのかというと、いわゆる性的虐待が物語の根幹となっているからだ。
当然ながら、僕はそういった問題に無頓着なつもりではいないが、正直に言うと「これぐらいのことでも深く心を傷つける事があるのか?」とも思ってしまった場面もある。
この本の巧みなところが、同じ出来事をあらゆる人の視点から語らせるところである。
一つの出来事に対して「そんなの大した事じゃないでしょ」という人もいれば「そんなひどい事よく出来るな」という人もいる。そして、環菜が心に傷を負ってしまうエピソードの数々が意見が分かれそうな絶妙なグレーゾーンにあるのだ。さらには、そのグレーゾーンが異常な事なのかどうかが当事者である環菜自身も判断が出来ていない、という非常に複雑な状況になっている。
これを読んだ女性読者の中には、環菜と関係を持った男たち全員に嫌悪感を抱く人もいるだろう。しかし、僕の中ではそこまで悪意を感じられない男もいたのも事実である。
そんな、僕のような読者にとってありがたかった登場人物が編集者の辻という男である。
「これはどの程度ヤバい事なんですか?」
「なんとなく普通じゃない事はわかるんですけど、決定的な悪い事なんですか?」
明かされていくグレーゾーンに次々と疑問をぶつけてくる彼の存在は、まさに男性読者の代弁者とも言えるのではないだろうか。
テーマがテーマなだけに(そんな場面があるかはわからないが)女性とこの作品について話をする時には、辻という登場人物の存在は非常に助かる。著者の島本理生さんは、作品が女性目線に寄りすぎないように、辻という存在でバランスを取ってくれたのだろう、と僕は思う。
〜理解出来ない他人の心〜
この作品から僕が感じたのは、他人の気持ちや考えを理解するのには限界がある、という事だ。
この物語では、性的虐待がテーマにはなっているが、それに限らず、当の本人にとっては重大な出来事なのに周囲の人々が事の重大さを認識していない、ということは多々ある。
「大したことない事で傷つくんだね」とか「そんな事をいつまでも引きずってんの」とか、そんなセリフは日常茶飯事だろう。
そして、周囲がその事の重大さに気づいていないのは、決して悪意があるわけではなく、本当にわからないのである。
男心、女心がわからない、なんていう男女の考え方の違いから、同性同士でもわからない事がある。究極を言えば、何が本人にとって重大な事なのかは個人によって違うのだ。
そんな中で最悪のケースとなるのが、本作の環菜のようなケースなのだ。本当は気持ちが悪く嫌な事のはずなのに、周囲が「大したことない」と反応する事で、本人自身が傷ついていることに気がつけなくなってしまう。
相手の気持ちを考えて行動しましょう、なんて義務教育の時点で習う話だが、実際のところ、他人の気持ちを正確に読み取るなんて不可能だ。
しかし、だからと言って「他人同士なんだから分かり合えなくて当然」と割り切って諦めてしまう事は僕には出来ない。
一人一人が勇気を持って嫌な事は嫌だと言う事は大事だが、それが伝わらないからと言って、わからない人間を"悪"のように扱ってしまってはいけない。また、受け取る人も自分には想像もつかないことを真剣に考えている人がいる、ということを意識しなければいけない。そして、自分の何気ない言葉が他人の心に大きな傷をつけることもある、ということも知るべきだ。
僕は、話の伝わらない相手によく使うセリフがある。
「理解出来ないのは仕方ないから、認識しろ」
どれだけ説明しても、相手が納得出来ない事を理由に話が進まない時によく使う。
個人が納得して理解出来る事柄なんて、たかが知れてるんだから、まずは「そういうもんだ」と知れ、という意味で使ってる(ぶっちゃけ嫌味である)。
全部が全部理解しないと行動出来ないようじゃ、人と人との関係の問題は永遠に解決しない、と僕は思う。
まずは「そういう人がいる」と知った時に、それをまず飲み込むという姿勢が無ければ、人と人がわかり合うという事は出来ないだろう。