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【西方冗土 カンサイ帝国の栄光と衰退】厄介なカンサイ人文化

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆

〜関西人が受けるカンサイ人差別〜

僕は、兵庫県出身のいわゆる関西人である。関東に来て10年になる。
そして、関東の人に「関西人」ということをやたらといじられるのが嫌である。
平気で「関西人なんだから面白いこと言わないと」なんて言ってくる輩がいるし、「カンサイ人=お笑い、タコ焼き、お好み焼き、ケチ、ガメツイ、ヤクザ(*)」というイメージ前提で話をしてくる輩がいる。
こんな多様性が叫ばれ差別と呼ばれる差別が許されない今の社会において、なぜか「関西人をカンサイ人としてバカにする」ことにおいては公然と許されているように思える。

(*)以下、本文中における「関西人」と「カンサイ人」を次のように定義することにする。
関西人
…単に関西地方出身の人のこと
カンサイ人
…「お笑い、たこ焼き…」などの関西出身の人に対する世間のステレオタイプに当てはまる人、または当てはまるように振る舞う人のこと

関西人であることで、関東で居心地の悪い思いをしたことは一度や二度ではない。

関西人をバカにする関東の空気をなんとかしたいのだが、残念ながら「カンサイ人としてイジられる」ことに対して、それを楽しんで受け入れている関西人が関東にいるのだ。
地元では使いもしなかった「でんがな」「まんがな」をわざと使い、必要以上におどけてみたりして、カンサイ人という自分のアイデンティティを確立しようとするのである。
関東で「カンサイ人」である自分を売り出そうとする関西人は、地元関西ではうまく目立つことが出来なかったことは間違いない。目立つのが好きな(人が多い)カンサイ人にとって、地元での不遇の学生時代を送った場合、社会人になったのをきっかけに上京するのはスポットライトを浴びる新たなチャンスなのだ。

この「関西人差別・侮蔑」の背景には、こういういじられることでイキイキしてしまう三流カンサイ人の存在がある。

僕としては「関西人」どうこう言われることに対して、「本当にほっといてくれ」と思うのだが、三流カンサイ人のせいで「三流の関東の大人」に「関西人」であることを揶揄される(もちろんキチンとした大人であれば、そんな事はしない)。

カンサイ人としていじられて苦労する関西人は僕の他にも多くいるだろう。
同じ悩みを持つ人に何人か会ったことはある。


〜一流のカンサイ人〜

さて、前置きとなる僕の愚痴がかなり長くなってしまったが、本書は兵庫県尼崎市生まれの中島らもさんによる「カンサイ人エッセイ」である。
らもさん自身、別に関西人であることのアイデンティティに誇りを持ったりしているわけではなく、僕と同じ「ほっといてくれ」というスタンスなのは非常に嬉しい。

そして、やはりらもさんの描くカンサイ人は面白い。
関東で必死に目立とうとする三流カンサイ人とは違い、本書に出てくるカンサイ人はまさに一流のカンサイ人と言えるだろう。根っからのカンサイ人なのである。

カンサイ人を作り出す文化はやはり、その本拠地である大阪にいなければ味わえない。見た目だけ繕っても所詮格好だけなのだ。

カンサイ人は街からもうカンサイ人なのだ。
街並みなどお構いなしに目立つことを優先した看板。
儲かることよりも面白さを優先した奇怪なビジネス。
その地域でしか生きられなくなるほど、独自に進化していったカンサイ弁。

彼らこそ、真のカンサイ人なのだ。本書の初版は1994年なので20年近く経った今も本書の中に書かれるような一流のカンサイ人がどれほどいるかは、関西を離れた僕にはわからないが、きっとまだまだ同じような文化と人が残っているのだろう。

ハッキリ言って、僕はカンサイ人の文化は肌には合わないので、故郷を離れたことをちっとも後悔はしていない。
彼らの生態は本書のようなもので外側から眺めているのが面白い。一流も三流も深く関わりすぎると自分を死なせてしまう。

というわけで、最後に、本文が書評ではなく、終始「カンサイ人」をとりまく人々に対する愚痴になってしまったことをお詫びしたい(笑)

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