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【走れメロス】嫌いの反対は…
ハルキ文庫の280円シリーズから、「走れメロス」など全五篇が収録された1冊。
それぞれの話の簡単な感想を。
〜懶惰の歌留多〜
「人間失格」の主人公・葉蔵が、もし太宰治本人なのだとしたら、僕は太宰治が嫌いである、というのは「人間失格」で書いたが…
もし、この懶惰の歌留多の文章が太宰治の本音なのだとしたら、やっぱり僕は太宰治が嫌いである…。
小説家、と名乗っている人間が、こんな文章を書いていいのだろうか?とさえ思ってしまった。
〜富嶽百景〜
さて、太宰治自身のことは嫌いなのかもしれないが、やはり、文章の繊細な美しさには心惹かれてしまう。本書の中ではこれが1番良かった。
富嶽百景では、「私」が、最初バカにしていた富士の景色が人との出会いや自己の対話によって少しずつ変わっていく様子が描かれる。
度々現れる富士の描写が非常に良い。
〜黄金風景〜
幼い頃にいびっていた女中と再会する話。かつてはのろくさくて下に見ていた女中には暖かい家庭があり、自分のことを「親切に目をかけてくださった」と言う。
食うにも困る生活をしている「私」は、そんな女中に顔を合わせることも恥ずかしくなる。
なんか「あるある〜」と思った作品。過去にバカにしていた相手が自分よりもはるかに大人になってしまった姿は、何も成長していない自分と比べて気恥ずかしくなってしまう。
〜走れメロス〜
学校で習ったのか、この話を最初に読んだのはまだ10代の頃だったと思う。
その時にはこの話の登場人物の誰にも共感出来なかったのだ。
正義が暴走して勝手に親友を人質にするメロス、勝手に人質にされたことに全く怒りを感じないセリヌンティウス、散々市民を殺しておいて最後の最後に「仲間に入れてくれ」と都合のいいことを言う王様、そして、それを見て「王様万歳!」と歓声を起こす市民たち。
誰に対しても違和感しかなかった覚えがあるのだが、30歳を超えた今読んでも、やっぱり同じ感想だった。
「人間失格」を読んだ時もそうだが、若い頃に感じたものって大人になってもそう変わらないのだなぁと思った。
〜トカトントン〜
「黄金風景」と同様に、これも「あるある〜」と思った一作。
何か真剣に考えていたり、何かに熱中している時に、ふと関係ないことが頭に浮かんだり、鳴ってもいない音が聞こえたり、というのはあるある。
最後にこの手紙を受けた某作家が「気取った苦悩ですね」と突き放してしまうのも、ああ「私」の救いようの無さが現れている。
〜最後に〜
さて、この記事では度々「太宰治は嫌いだ」と書いているが、本書の解説の中にハッとした太宰治の言葉があった。
「嫌いっていうことは好きなんだ」
たぶんそうなのだ。「人間失格」の時にも本作を読んでいる時も、度々「太宰治ってやつはなんか嫌だなぁ」と感じていたが、たぶん僕は他の太宰治の作品を今後読むだろう。
好きの反対は嫌いではなく無関心だ、とはよくいうが、間違いなくこの年齢にして太宰治に惹かれ出している。