【コンビニ人間】「普通」と思っている事がヤバいのかもしれない
オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆☆
〜「普通」という不気味なもの〜
「普通ってなんだよ!?」
「常識なんて関係ない!」
僕は昔、この手の事を口にする人が嫌いだった。
そんな人たちを、自分にとって都合の悪い法律やルールを曲解し、「自分はルールに縛られない」と言いながらその思想を免罪符のようにして、社会や周りの人に迷惑をかける事をなんとも思わないような人種だと思っていた。
しかしながら、それは僕が幼くまだ世の中のことをわかっていなかった時の話。
「普通」や「常識」という言葉は法律やルールだけに関わる事ではなく、人々の生活や生き方にも存在してしまっているのだ。
特に昨今は、「多様性」という言葉が広がりを見せて、「普通」や「常識」という言葉がおぞましく不気味な響きを持つ時代であるように思える。
「正欲」を読んだ時にも感じた「普通の人々」に対する悍ましさや嫌悪感がこの小説でも感じられた。
一言で言うなら、これは自分の価値観を変えるかもしれないヤバい小説である。
〜「普通」という呪い〜
主人公の古倉恵子は、作品のタイトル通り「コンビニ人間」である。コンビニ店員として"生まれる"前は誰からも理解されない子供だった。小鳥の死体を見つけて母親に「今日はこれを焼いて焼き鳥にしよう!」と言ったり、男子2人のケンカを"止める"ために、片方をスコップで殴りつけたりする。いずれも彼女なりの理屈があり、小鳥の件では家族が美味しそうに焼き鳥を食べる場面を思い出し家族が笑顔になると思い言った言葉であるし、男子のケンカについても周りが「止めないと!」と騒いでいる中、"止める"のに手っ取り早い方法として思いついた行動なのだ。
彼女の中では非常に合理的な判断・行動であるにも関わらず、周りの人々からは理解されない。家族からも「どうしたら"治る"のか」と言われてしまう。
そんな彼女が居心地の良さを感じたのがコンビニ店員という仕事である。週5で出勤していれば重宝され、その日の温度や湿度または季節により売れる商品が分かり、陳列ひとつを丁寧に行えば新商品の売れ行きも上がる。「店員」は決まった挨拶と決まった制服を身につければ、中身は別人でも同じ「店員」となり、コンビニの売り上げを上げるという共通目標に向かって働く共同体となる。
まさに彼女にとって合理性の塊のような場所がコンビニなのである。
そして、彼女は大学1年から18年間同じコンビニで働き続け「コンビニ人間」となったのだ。コンビニ店員として働いている間は、他の店員と同じコンビニのシステムに組み込まれた「店員」として過ごす事が出来る。
しかし、36歳にして、同じコンビニで働き続け、恋愛も結婚も就職もしない彼女は普通(と自分で思っている)の人から見ると異端の存在である。周りの人々は自分たちの信じる「普通」を恵子に押し付けてくる。しかし、恵子には何が「普通」なのかが理解出来ない。
恵子目線から見れば周りの人々の言葉はお節介この上ないだろう。しかし、おそらく僕らも日常において近しい人間に恵子のような人物がいれば、同じような言葉をかけてしまう。タチが悪いのが、それを"善意"から行なっている事も少なくないのが実際のところだろう。
僕は、今の世の中においては、もはや「普通」という言葉は呪いの言葉なのではと思っている。「普通」なんてものはこの世に無くて、その言葉を使うことすらヤバいのかもしれない。
〜ハッピーエンドかバッドエンドか〜
そして、作中において1番「普通」という呪いに侵されていたのは間違いなく白羽である。
彼は作中の誰よりも「普通」というものに敏感であり、「普通」になりたい欲望がありながら世の中を攻撃して苦悩する、という1番不憫な男である。
それに対して、主人公の恵子はどうだろう。
ラストがハッピーエンドかバッドエンドかは恐らく読む人によって分かれると思う。
僕は間違いなくハッピーエンドだと思う。
「普通」という不安定な土台で生きようとしている僕と比べても、輝きに満ちているように感じた。