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研究のきっかけ

 「#忘れられない先生」があったので、小学校から大学院までの先生を思い出してみました。忘れられない先生はたくさんいますが、その中でも、大学時代の研究への道へのきっかけとなるインスピレーションを与えて頂いた、朝鮮史の馬淵貞利先生について述べさせていただきます。

きっかけは講義中の雑談

 馬淵先生は、朝鮮現代史の専門で、講義は朝鮮戦争を主体としたものでした。2年生のある日の講義で、詳しい内容は忘れたのですが、先生の複雑な学歴に絡めて、大学で研究教育する意義について雑談として話された事がありました。その時、大学での研究教育を自明の事として考えていた自分の中で、大学でなぜ研究教育をするのかという事自体への疑問がインスピレーションとして湧き出しました。
 その講義中は、その事で頭がいっぱいとなり、その足で図書館に向かい、大学教育に関する文献を探すことになります。

高等教育研究との出会い

 当時は、そもそも高等教育を研究している人の絶対数が少ない時代で、見つけた文献は、東京大学の天野郁夫先生や、広島大学の喜多村和之先生などの一部に限られました。これらの文献を読む事で、まだ高等教育の研究分野には大きなフロンティアがあり、この分野を開拓する事こそ、自分の使命だと感じました。専門外の講義での何気ない雑談が、自分の人生を決定づける事になったのです。

早すぎた研究への参入

 当時は、高等教育を研究する専門の課程があるのは、東京大学と広島大学に限られていました。結局は広島大学に振られて、専門ではない早稲田大学に行く事になるのですが、まだ高等教育の研究に参入する若手は全国的に少なく、孤独なまま研究を続ける事になります。
 当時は無理をして博士に行ったところで、高等教育に関する研究ポストもほとんどない状態だったので、早くに研究者の道を諦めたのはプロフィールの通りです。
 私がドクターを断念した平成の初期頃から、各大学で高等教育の研究が盛んになり、現在では、教育学の中でも大きな位置を占めているのは教育学を研究している方々にとっては自明の事です。でも、教育学が専門でなかった私にとって、あの馬淵先生の講義がなければ、平凡な社会学の研究テーマで卒論を書いて、そのまま惰性で学部段階で教員になっていたと思います。
 研究者の道を目指す契機となり、紆余曲折があって大学職員となる人生を歩む、最初のきっかけを与えてくれた馬淵先生の存在は、私にとって忘れられない先生の一人です。

出会いの価値

 一般の社会学を専門として、都市社会学や政治社会学の教員の下で、高等教育について研究したのは、全国見渡しても、私ぐらいだと思います。
 高等教育専門の研究室では得られない、刺激の多い環境で研究環境を送れたのは、やはり動機が歴史学の雑談という事から始まっている事と無縁ではないと思います。
 人生とは本当に不確実性に満ち溢れています。皆さんにも、ちょっとした先生との出会いが、人生を変える事があるかもしれません。出会いを大切にする事こそ、人生を充実させ、価値ある事に繋がると思いますので、一つ一つの出会いを大切にしていってください。

(了)




 

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たこま
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