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2-23 学芸大学50周年史について
東京学芸大学について述べています。
前回は
先日入手した東京学芸大学50周年史について、概略を纏めました。
1.戦後改革期
戦後の教育改革で、戦前の師範学校での教員養成が皇国化を推進したとして否定され、アメリカ式の大学での教員養成が導入されることなりました。
東京では4校の師範学校がありましたが、GHQの指示もあって合同して大学化する事になります。この時に、深い教養を身に付けた教員を養成する事を目的に、教養教育の意味を持つリベラルアーツを和訳した学芸を名前にして、東京学芸大学と名付け学芸学部を置きます。ただ名前ばかりの大学で実体が伴ってない状態で、この時代は大学らしくなる為に、人的、物的そして質的にもかなり苦労した時代だった様です。
2.戦後拡大期
やっと大学らしくなった頃に、今度は政府の教育政策の転換で、教養教育を主体にしたうえで教員を養成する方策から、ダイレクトに教員だけ養成する事を目的とする教育学部に転換する事を迫られます。
他の学芸大学・学芸学部がどんどん教育大学・教育学部化する中で、やむを得ず学部だけ教育学部に変えます。そして、名前だけは学芸大学のままというジレンマを抱えたまま、様々な教育政策の変化の波を受ける度に、組織改変を繰り返す時代が長く続きます。
3.戦後安定期から現代にかけて
教育現場がより複雑化することで、教員の質的高度化が求められ、一方では少子化で教員の絶対数が減少する状況で、大学としての存亡を賭けた施策を展開します。
博士課程の設置などの大学院の拡充や、教育系の定員を削減して教養系を新設する(現在の教育系と教育支援系の原型)などの施策は、教員養成の質の確保と大学の規模を確保する為のサバイバル戦略として取られたものです。
その後も教員養成の政策に翻弄される50年の歴史だったと云うところで50年史は終わります。
4.50年史後について
現在の東京学芸大学は、学部は定員を減少させた上で、教育系と教養系を、教育系と教育支援系というあくまでも教育者養成の学部である事を主張する分野に改編しています。減少した定員の一部は大学院にシフトされ、教職大学院の拡充などに使われています。
国立大学法人化後は、3つの分類(高度・専門・地域)の中で2番目となる「専門分野の優れた教育研究」の類型に入り、国際化や産学連携に邁進していますが、背伸びし過ぎたのか、なかなか成果が得られていないのが現状の様です。
若干補足しましたが、東京学芸大学の歴史はざっくり言ってこんな感じです。感想は次回に述べます。
次回は
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