当事者性にあふれた議論――赤坂憲雄・小熊英二編『「辺境」からはじまる:東京/東北論』(明石書店、2012年)評
3.11により私たちの意識は大きく変わった。自然災害への感度は明らかに上昇したし、原発や放射性物質に対する関心も増した。だが、私たち東北人にとっては、東北が近代日本(とその象徴たる東京)を稼働させるための植民地であった/であるという事実への気づきが最も大きい。
この論点は、震災直前まで東北芸術工科大学(山形市)を拠点に「東北学」を唱導してきた民俗学者・赤坂憲雄、近代日本精神史の大胆な書き換えに挑む社会学者・小熊英二などが災後各所で提唱してきたものである。しかし、残念ながらそれらは断片的なものにとどまっており、より本格的な議論が待たれているものでもあった。
本書は、そうした声に応えるべく、両氏を編者に、東北に縁ある若手研究者8名が「東京/東北論」に挑んだ本格的な論集である。東京/東北それぞれの震災論、過疎地(福島県飯館村、宮城県釜石市、青森県六ヶ所村、岩手県葛巻町)の生存戦略、フクシマの優生思想、ポスト3.11のNPO論、飢餓の近代史など、当事者性にあふれたユニークな議論が展開されている。
興味深いのは、全編にわたり伏在する「〈東京〉としての東北/〈東北〉としての東京」という視点だ。例えば本書は、従来の地方開発の大半が〈東京〉化を志向するものであった点、そしてその果てに今般の震災があったという点、さらにはそうした災後の〈東北〉がこれから被災するであろう東京を先取りしている点を指摘する。要するに、植民地からの「独立」として求められているのは、東北の〈東京〉化ではなく、東京の〈東北〉化、すなわち被災地の知によって東京をアップデートしていく道筋なのである。
震災前の赤坂「東北学」は、そうした東京論を欠いていた。本書ではそのミッシングリンクが彼の下に結集した若き研究者らにより補完されている。山形を去った彼が〈東北〉の若き知を集めて挑む「東北学」の第二ラウンド。東京の〈東北〉化という稀有壮大なプロジェクトの発動を言祝ぎたい。(了)
※『山形新聞』2012年7月29日 掲載
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