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【読書感想】角田光代『森に眠る魚』

2019/06/08 読了。

角田光代『森に眠る魚』

1999年に文京区で起きた音羽幼女殺人事件がモチーフとなった小説。私立小学校や国立小学校のお受験や幼児教育などを絡めた、ママ友5人のドッロドロ群像劇。

幼稚園(保育園ではないが大事)や専業主婦、高級なマンション、出来の良い子供、この小説に出てくるワードはかなり私から遠くて、ちょっと小馬鹿にするように読んでいたんだけど、ある一文で急に自分事になった。 

「幼稚園、小学校、中学高校と、いくのはこの子なのに、私自身がもう一度くり返さなくてはならないような気になっていて、前よりはずっとうまくできると思うんだけど、それでもやっぱりこわかったの」

分かりすぎてつらい。

ママ友のドッロドロした関係は、ママ友経験者なら分かりすぎるくらい分かるだろうけど、ママじゃなくても、父でも、中高生でも、このドロドロは理解できると思う。このテーマは、ある種の普遍性を持っている。

終盤に差し掛かるころ、ママ友共の誰かは分からない『彼女』目線で描かれた部分が出てくる。この目線は、たぶん文京区で実際に起きた殺人事件をなぞったものだ。私はここが一番恐ろしかった。名前のない『彼女』なのに、実体感があった。というか、私が『彼女』になって寺の鬱蒼とした森を子供の手を引いて歩いていた。他の章では、ほとんどが他人事で、馬鹿な女共と俯瞰からせせら笑っていたはずなのに、そこに居たのは私だった。

登場人物は多い。子供の名前もたくさん出てきて混乱する。誰が誰の夫がよく分からない。この読みづらさこそが、ママ友人間関係のリアルだと私は思う。

だれだれちゃんママのだんなさんのおかあさんがね。

だれだれちゃんママのだれだれちゃんの弟のだれだれ君がね。

ママ友の間では、この複雑な人間関係図こそがリアルだ。繋がりだけで存在する世界は美しいはずなにのに、ヘドロのように汚い。

剥き出しの個人情報を纏って、誰からも守られず、子供のために取り繕うお母さん達を笑ってやってくれるな。本当に必死なのだから。




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