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論文紹介 小規模な武力行使で相手を外交交渉へ誘導する戦略がある
基本的に国際政治や戦略の研究では戦争が政策を遂行する手段としてあまりにもコストが大きすぎると考えられています。しかし、将来の大規模戦争を防ぐために、あえて小規模な兵力を用いた軍事作戦を仕掛ける方が戦略的に有利な場合があるという学説もあります。この記事では、その学説について簡単に説明してみましょう。
通常、国家は戦争になれば戦闘で大きな犠牲を出すことを想定するので、ほとんどの争点で歩み寄りによる解決を図る方が合理的だと判断します。しかし、外交で望ましい結果を得ることが難しい場合があることも分かっています。争っている利益がそもそも両国の間で分割できない場合や、双方の国家が自らの意図と能力を隠している場合、また相手が将来的に合意を履行すると確信できない場合がそれに該当します。
特に情報を隠蔽する場合と合意の履行を確信できない場合に関しては、政治学者ジェームズ・フェアロン(James Fearon)が1995年に発表した「戦争の合理的説明(Rationalist Explanations for War)」で戦争の根本的な原因であるとして重視されています(Fearon 1995)。これはゲーム理論を駆使した外交交渉の分析として今でも重要な業績と位置付けられている論文です。
政治学者ロバート・パウエル(Robert Powell)は「コミットメント問題としての戦争(War as a Commitment Problem)」(2006)で、フェアロンの分析をさらに詳しく検討しており、国際政治で各国が自らの意図や能力を隠すことで外交による解決が妨げられるという説明では、長期戦における国家の軍事行動を合理的なものとして説明できなくなると指摘しています。
そこで、パウエルは、第2の要因、つまり外交によって問題を解決しようと試みたところで、両国が達した合意が履行されるとは限らないこと(コミットメント問題)が戦争の原因としてより重要であるという考えに達しました(Powell 2006)。例えば、相手国が軍備を拡張し続け、近い将来に我が国の優位が失われる恐れがある場合、現段階で合意を形成できても、将来的に相手国は合意を履行しなくなり、さらに我が国に譲歩を求めて軍事的圧力をかけてくることが考えられます。
パウエルの研究を踏まえると、相手国が軍備拡張を進め、軍事的優位を確立する前に、我が国の方から外交交渉の継続を断念し、予防戦争(preventive war)を仕掛ける方が戦略的に有利であるとも考えられます。しかし、最近の研究では相手国と外交交渉を継続しつつ、限定的な兵力を用いて武力攻撃を加えることも有効な戦略であることが注目されるようになっています。
ピーター・シュラム(Peter Schram)の論文「ハスリング(Hassling)」は外交交渉を継続しつつ、限定的な武力攻撃を実施する戦略を、悩まさらせる、あるいは煩がらせるという意味を持つハスリング(Hassling)と名付けて分析しています(Schram 2020)。シュラムの分析によれば、ハスリングは全面戦争の勃発を避ける上で重要な効果があります。
例えば、1991年に湾岸戦争が終結した当時、イラクは自国が保有する大量破壊兵器を放棄することをいったんは認め、国際機構による査察を受け入れることにも同意していました。しかし、イラク政府が現地で活動する査察団を妨害したことを受けて、アメリカはイギリスと共同で限定的な武力行使を行うことを決定し、1998年12月の砂漠の狐作戦(Operation Desert Fox)でイラク軍の輸送能力を低下させることを目的としたミサイル攻撃を実施しました。
この砂漠の狐作戦は4日間で完了したので、イラク軍は依然として戦闘力を保持しました。しかし、これはアメリカは全面的な武力攻撃を加えることで非核化に向けた交渉が不可能になることは避けるためであったと考えれば、戦略的な合理性があったと理解できます。ただ、2003年のイラク戦争の結果によって、イラクは実際には大量破壊兵器を保有していなかったことが判明しているので、アメリカはイラクの脅威を過大に評価していたことになります(イラクにおける大量破壊兵器の捜索)。
ハスリングとして武力攻撃を実施すれば、事態をエスカレートさせる恐れもあると考えられますが、著者はむしろコミットメント問題を踏まえながら、外交的な解決の可能性を残すために必要な選択肢の一つであると捉えています。ハスリングは予防戦争よりもはるかに小規模な兵力の使用にとどめるので、もしエスカレーションが起こるとしても、大規模な兵力で予防戦争を仕掛ける場合に比べて危険性が低いと考えられるためです。
見出し画像:U.S. Department of Defense
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