国力の限界を超えて戦争に突き進む国家では独特な政治的力学が働いている:『帝国の神話』の書評
世界の歴史を調べていると、自らの国力で対処できる限界をはるかに超えて勢力の拡大を図る過剰拡張(overexpansion)によって失敗した国家が決して少なくないことに驚かされます。
一部の国は勢力を拡大する機会を見つけても、それが軍事的に失敗したときのリスクや、国際社会の反応を予想し、開戦を踏みとどまります。しかし、一部の国は果てしない戦争に自ら飛び込み、勝つ見込みがないまま戦い続けることになります。第二次世界大戦における日本の対外政策も、典型的な過剰拡張の事例と解釈することができるでしょう。
アメリカの政治学者ジャック・スナイダーの著作『帝国の神話:国際的野心の国内政治(Myths of Empire: Domestic Politics and International Ambition)』(1991)はこのような一見すると不可解な対外政策が採用される理由を説明する理論を示した研究成果であり、戦争の原因を考える上で示唆に富む一冊です。
スナイダーは過剰拡張に走る国家が現れる理由を説明するためには、国家間の勢力関係を分析するだけでは不十分であり、国内政治で政策を決定する人々の利害を考慮に入れる必要がある、という立場を採用しています。さらに、国内では利害が異なった集団が国家の政策を自分の利益になるように操作しようとせめぎ合っていると想定し、その駆け引きでエリートが重要な役割を果たしていると考えます。
ただし、スナイダーは資本家、外交官、軍人など、特定のエリート集団が単独で対外政策を決定できる場合はほとんどないとも指摘しています。彼らは国家が対外進出を推進することで、より多額の国防予算を獲得し、職務上の権限や組織の規模を拡大し、新たな投資の機会を得ることができるかもしれませんが、彼らの影響力も無制限のものではなく、政策決定を操作できる程度は限定的なものにすぎないとスナイダーは考えました。この点で資本家の階級的利害で戦争を説明しようとする古典的なマルクス・レーニン主義の教説とは一線を画しています。
スナイダーの理論の最も重要なポイントは、影響力の限界に直面した複数のエリート集団は、自国の政策を操作するため、大規模な連合体を形成するようになるという点です。このような連合体に参加した関係者は、それぞれの利益を実現するために政策に独自の要求を盛り込もうとしますが、国家の政策の全体的な方向性や論理的な一貫性に注意を払うことがありません。その結果、一人ひとりは必ずしも過剰拡張を望んでいなかったとしても、それに繋がる政策を支持するという事態が生じます。
このような政治状況が起こりやすいのは、一部の人々に権力が集中する非民主的な政治体制であるとスナイダーは指摘しています。エリート層は外交や軍事に関する専門知識を独占的に持っており、それを使って自国の政策を正当化する術を心得ています。スナイダーは過剰拡張を正当化するように設計されたイデオロギーを「神話」と呼んでいますが、これは非民主的な国で世論を一定の方向に誘導する上で有効だと論じています。
他方で民主的な政治体制を採用する国家では、過剰拡張に利益を感じることが少ない非エリート層が投票行動を通じて政権の存続に影響を及ぼすことができるため、エリート層が政策を操作することはずっと難しくなります。また、エリートが外交や軍事に関する専門知識を独占することが妨げられると、世論を誘導することも容易ではなくなります。
この著作でスナイダーは自説を裏付けるために5種類の事例を分析しました。一つ目の事例はドイツであり、第一次世界大戦のヴィルヘルム二世と第二次世界大戦のアドルフ・ヒトラーが、陸海軍、外務省を権力の基盤として重視していたことが指摘されています。戦前のドイツ社会で大きな影響力を持っていた地主の政治的な役割についても議論されています。
二つ目の事例は戦間期の日本であり、ここでもやはり陸海軍のエリートが政策選択に重要な影響を及ぼした主体として注目されています。彼らはいずれも過剰拡張を正当化するための思想を普及させる上で重要な役割を果たしており、勢力としては少数でありながらも、他の政治勢力との関係を築くことで、過剰拡張を推進する主体となっていた、とされています。
スナイダーは日本とドイツで似たような政治構造が発生した原因については、経済構造と関連付けていますが、この点に関しては確固とした根拠が示されているわけではなく、あくまでも影響を指摘するにとどまっています。
スナイダーは本書で3つの事例分析を展開し、一時的に拡張主義に走ろうとした兆候があったにもかかわらず、踏みとどまった国を取り上げています。1853年に勃発したクリミア戦争でイギリスの首相パーマストン子爵は黒海におけるロシアの勢力拡大に対抗するため、戦争を継続することに強い意欲を持っていましたが、その方針は議会の反対勢力によって阻止されてしまいました。
第二次世界大戦が終結してからもソ連の勢力を拡張し続けようとしたスターリンが1953年に死去したことにもスナイダーは注目しています。スターリンの死によってソ連では権力の分散を伴う集団指導体制への移行が起きています。スナイダーはこのことがスターリン体制下における対外的な勢力拡大の方針を見直すことに繋がったと主張しています。
最後の冷戦期におけるアメリカの事例に関する分析では、国務長官のディーン・ラスクやジョン・フォルスター・ダレスの役割が重視されています。1950年の朝鮮戦争でアメリカが参戦したこと、1964年にベトナム戦争に本格的な介入を開始したことは、国際政治の要因で説明することが難しいとスナイダーは考えており、当時の外交官や軍人が専門知識を盾にして拡張主義的な政策を推進していたという説明を展開しています。
ただ、ベトナム戦争を通じて戦争の実態が広く報道されるようになると、アメリカの有権者は過剰拡張の弊害を学習するようになったとも論じています。ベトナムから撤退することが決断されたことは、拡張主義的なエリートの影響力の低下を説明するものであると考えられています。
スナイダーの理論がどれほど一般化できるのかについては、慎重に判断する必要があります。スナイダーは軍人が拡張主義的な政策を好む傾向があるということを前提としており、1984年に出した『攻勢のイデオロギー(The Ideology of the Offensive)』でも軍人が攻撃的な戦略を好む傾向にあることが主張されています。これはスナイダーだけの見解ではなく、政治学者のバリー・ポーゼンも同様の見解を示したことがあります(軍隊が選択したドクトリンによって国際情勢が不安定になる場合がある『軍事ドクトリンの源泉』の紹介を参照)。
ただし、このスナイダーの見解に反する研究成果もあり、例えばエリザベス・キアの『戦争をイメージする(Imagining War)』では、軍人が必ずしも攻撃的な戦略を好むわけではないことが明らかにされています。最近の研究では、戦闘に参加した経験の有無によって軍人の好戦性が変化することも明らかにされています(詳細はどんな政治家が戦争を始めるのか?『なぜリーダーは戦うのか?』の紹介を参照)。
政治において権力が一か所に集中し、政治システムが独裁的、専制的になるほど、戦争を開始しやすくなるというスナイダーの主張は今でも多くの研究者から支持されています。この見方は政治システムが民主的になると、政治家は武力行使に慎重になりやすいと考える民主的平和論(democratic peace theory)としてまとめられており、例えばブエノ・デ・メスキータなどの研究者がその実証的な妥当性を確かめたことがあります(メモ なぜ独裁的な国家の政治家は戦争を始めやすいのか?)。
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