論文紹介 国際秩序をめぐる米国と中国の対立
18世紀のプロイセンの哲学者イマヌエル・カントは「世界市民的見地における一般史の構想」(1784)で各国で共和制が存続するためには、国家間で法の支配という規範が確立されていなければならないと論じたことがあります。
これは戦争が勃発しやすい国際情勢で民主主義を存続させることが難しいことを示唆した最初期の議論と位置づけることができるものであり、後にドイツの歴史学者オットー・ヒンツェやイギリスの歴史学者ペリー・アンダーソンの研究に引き継がれました。
現在では、国際政治のあり方が国内政治、特に政治システムの種類や政策の選択に影響を及ぼしている可能性があることが政治学者の間で広く認識されるようになっています(e.g. Gourevitch 1978)。ただ、国際政治のあり方が国内政治を一方的に規定しているわけではなく、すべての国は国際政治のあり方を自国の国内政治に応じて変えようとすると想定されるので、国際政治と国内政治は相互作用していると考えた方がよいでしょう。
現代の国際秩序は冷戦期のアメリカの政策と戦略に従って形成されたもので、研究者からは「自由主義的国際秩序(liberal international order)」と呼ばれています。第二次世界大戦の終結後、アメリカはかつての敵国だった(西)ドイツ、イタリア、日本をこの国際秩序に組み入れ、イギリスやフランスに並ぶ西側の同盟国へと再編成し、国際連合や世界銀行などの国際機構を設立し、自由貿易と民主主義を推進しました。
これらは単に自由主義的国際秩序の強化に寄与しただけでなく、冷戦期にアメリカが脅威と見ていたソ連の勢力を封じ込める上で戦略的な効果をもたらしました。しかし、近年ではアメリカの自由主義的国際秩序を脅かす新たな存在として中国が勢力の拡大を試みています。以下の論文では今後の世界では中国が推進する権威主義的・資本主義的国際秩序(authoritarian-capitalist international order、以下では権威主義的国際秩序)が自由主義的国際秩序と競合する可能性があることが検討されています。
John M Owen, Two emerging international orders? China and the United States, International Affairs, Volume 97, Issue 5, September 2021, Pages 1415–1431, https://doi.org/10.1093/ia/iiab111
著者は民主主義の促進、民主主義国の同盟、そして多国間主義の3つが自由主義的国際秩序の基本的な特徴であったと考えており、特に民主主義を促進する側面があったことは、1970年代から1990年代に世界各国で起きた「民主化の波」の背景的要因であったと述べています。
冷戦時代のアメリカは数多くの発展途上国で反共産主義を掲げる独裁政権を支援していたので、その影響については議論の余地があるのですが、アメリカの議会は政府に対して安全保障上の必要があるとしても、友好関係を結ぶ際にはその国の人権状況を改善するような措置をとらせることを求めて政治的な圧力をかけていたことは確かです。
1991年にソ連が解体されてからは、全世界がアメリカの自由主義的国際秩序に組みこまれていき、ソ連の陣営に属していた東欧諸国も続々と経済の自由化、政治の民主化を経験しました。中国でも鄧小平の下で改革開放が推進され、自由主義的国際秩序への参入に向かって動き出しているのではないかと多くの研究者が予測していました。
しかし、鄧小平は中国を民主主義国に移行させる意図はなく、中国共産党が権力を独占する体制を維持しようと動きました。特に決定的だったのは1989年に天安門広場で民主化を求めて集まったデモ隊を武力で弾圧した天安門事件であり、この事件以降に中国共産党は改革開放で経済の自由化を進めつつも、政治の民主化は阻止するために国内の監視と統制を強化しました。中国共産党は今なお三権分立、複数政党制、司法の独立、軍隊の国軍化などの自由民主主義の基本原則を拒絶しており、それらを導入しようとすれば中国で革命が起こりかねないと警戒しています。
このような立場から中国共産党はアメリカの自由主義的国際秩序を「世界秩序」と呼称し、それが不公平、非合理なものと評価しています。著者は中国の狙いは中国にとって望ましい国際秩序を構築することにあり、一帯一路(Belt and Road Initiative)も、中国にとって望ましい国際秩序を作り出す手段として理解できると主張しています。一帯一路は、港湾、空港、鉄道、高速道路、パイプライン、送電網などのインフラ建設を通じて中国の通商路を拡張する世界規模の計画です。貿易や投資で中国に依存する国を増やす効果があると著者は見ており、権威主義的国際秩序の基礎となり得ると読者に注意を促しています。
中国は通商外交だけでなく、文化外交でも自国に有利な国際秩序の創出を試みている兆候があるとも著者は指摘しています。2017年に中国が設立した百色幹部学院(Baise Executive Leadership Academy)では東南アジア諸国連合(ASEAN)、上海協力機構(SCO)の加盟国から公務員、裁判官、警察官を集めてに研修を行っていますが、その教育の内容に世論の操作や経済の管理に関する項目が含まれていたことが報告されています。また、現地の大学と連携することで世界各国に孔子学院を設立し、中国共産党の指導の下で文化、言語、歴史を普及させようとする活動も見られます。
最近の調査によれば、中国の政府関係者は文化外交の面で中国がアメリカに対抗する能力に関してあまり自信を持ててはいないことが明らかにされています。しかし、一帯一路を推進している中央アジアの方面では中国の文化外交が一定の成果を出しているとも考えられています。
中国は権威主義的国際秩序を拡大しようとしているというのが著者の見解ですが、その国際秩序に組み込まれた国々の経済力から見て、大きな経済的な利益をもたらすものではないと著者は見ています。それでも、それは自由主義的国際秩序と競合する可能性があることから、自由主義的国際秩序の擁護者であるアメリカは対応を迫られることになると述べています。
現にアメリカは中国の動きに対して、「自由で開かれたインド太平洋戦略(free and open Indo-Pacific, FOIP)」構想への関与を深めることで対抗しようとしており、また自由主義的国際秩序から中国を締め出そうとする動きも見せています。中国が発展途上国への融資を行うアジアインフラ投資銀行に参加しないように同盟国、友好国に呼びかけたことも、中国中心の国際秩序に反対する政策に沿った対応として理解できます。
ただし、ドナルド・トランプ政権の下でアメリカは環太平洋パートナーシップ協定(Trans-Pacific Partnership, TPP)から離脱するなど、アメリカが自由主義的国際秩序の維持強化に消極的な姿勢を示していることも考慮しなければなりません。著者は2021年1月にジョー・バイデン政権が発足したことによって、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership, CPTPP)に加盟する道を探す可能性があることを示唆していますが、まだその先行きは不透明な状況です。
今後の展開ですが、冷戦時代にソ連をはじめとする東側の国がアメリカの自由主義的国際秩序を部分的に受け入れていたように、中国も今すぐに自由主義的国際秩序から全面的に撤退するとは考えにくいと著者は考えています。ただ、状況はグローバル経済の分裂がどこまで進むかにかかっているとしており、もし脱グローバル化の潮流が進めば、中国の権威主義的国際秩序は自由主義的国際秩序と競合する度合いを高めてくると予測されます。
「1950年代の米中冷戦は誰にとっても利益にならなず、また出現する必要性もない。しかし、脱グローバリゼーションが続けば、中核国がそれぞれ好む統治形態と生活様式を維持できる2種類の国際秩序が生み出される可能性がある」
最後に私自身のコメントを述べておきます。この論文の著者は中国が国際秩序を形成する外交的能力をかなり高い水準にあると見積もったようです。中国の権威主義的国際秩序がアメリカの自由主義的国際秩序の現実的脅威となる可能性を強調していますが、この点に関しては研究者の間で議論の余地があるところだと思います。
例えば、著者は国際秩序を基礎づける軍事的能力について評価していません。自由主義的国際秩序の安定は世界規模で軍事作戦を遂行できるアメリカ軍の能力によって支えられています。アメリカ軍は北大西洋条約機構(NATO)の加盟国をはじめとする世界各地の同盟国から支援を受けており、また共同で作戦を遂行する体制を整えています。強大な海軍と空軍によって部隊の輸送や貨物の運搬に必要な海路と空路の安全を確保し、同時に通商路を確保しています。この軍事的基盤に関してはバリー・ポーゼンの「コマンド・オブ・コモンズ(Command of the Commons)」で詳細に述べられています。
現在の中国軍がアメリカ軍と同等の任務を遂行することは軍事的に不可能であり、遠隔地に兵力を展開する能力の構築にはさらに時間を要するでしょう。少なくとも近い将来に中国の勢力圏が中国領土の隣接地域を超えて広がるとは考えにくいため、権威主義的国際秩序の地理的範囲は自ずと制約されると思われます。
ただし、全世界の自由主義的国際秩序の全体に挑戦できないとしても、東アジア地域の国々に対して中国が圧力を強めることは十分に考えられることであるため、南シナ海に面する東南アジア諸国、台湾、韓国など、中国の影響力に晒されやすい国が権威主義的国際秩序にどのように反応するのか注意が必要だろうと思います。日本としても中国の動きに警戒する必要があることは言うまでもありません。