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リチャードソンの軍拡競争モデルを使って考える国際政治のダイナミクス
イギリスの研究者ルイス・フライ・リチャードソンは軍拡競争という国際政治の問題を理解する上で数理モデルから有益な示唆を引き出せることを示した研究者です。代替的なモデルも数多く考案されているのですが、この記事ではリチャードソン自身が提唱した古典的モデルを一から解説し、それを使った分析の例をいくつか示してみたいと思います。
モデルの基本的な特徴
リチャードソンの軍拡競争モデルは、国家主体だけで構成された世界を想定し、それぞれが軍備を保有していると想定します。この記事では説明のために、青国と赤国の2か国だけが存在している状況を想定しますが、3か国以上の国家主体の相互作用を分析することも可能です。青国と赤国は自国の軍備の水準を決定しますが、その際に相手の軍備の水準に関する正確な情報を踏まえていると考えます。このような場合、二国間の相互作用は次の2本の微分方程式によって模式的に表現できるとリチャードソンは考えました。
$${dx/dt=ky-ax+g}$$
$${dy/dt=k'x-a'x+g'}$$
これらの式では、青国の軍備の単位がx、赤国の軍備の単位がyで表されています。kとk'は相手の軍備1単位に対し、自国の軍備を何単位割り当てる必要があると見積もられているのか、その判断を0よりも大きな値で定量化した防衛係数(defense coefficient)を表しています。これは双方で一致しない場合があると想定されているため、kを青国の防衛係数、k'を赤国の防衛係数として区別しています。次の項にあるaとa'は疲弊係数(fatigue coefficient)と呼ばれているもので、自国の軍備を1単位増やすたびに、どれほど自国の資源が消耗されるのか、その比率を表しています。これも青国と赤国で異なる可能性があるので、aとa'で区別しており、0より大きな値をとります。最後のgとg'は不満因子(grievance)と呼ばれている項で、それぞれ青国と赤国の社会が軍備の増強を要求する程度を表しています。
モデルでは、青国が赤国の軍備(y)を、赤国が青国の軍備(x)の状況をそれぞれ認識した上で、双方とも自国の基準で軍事上の必要を見積り(ky, k'x)、また経済上の負担を考慮に入れつつ(ax, a'x)、世論の動向にも左右されながら(g, g')、自国の軍備の水準を選択していることが表されています。モデルは複雑かつ曖昧な現実を単純化し、分析に役立てるための道具であるため、ここでも多くの要因が省略されていることが分かります。例えばリチャードソンは地理的な環境が軍事情勢に及ぼす要因や、政府内部における政党、官僚、圧力団体などが関与する予算交渉の影響などの影響を省略してモデルを構築しています。
数式を使わない定性的な説明
先ほど述べたように、青国はその時点で得られた赤国の軍備に関する情報によって将来の自国の軍備の水準を変化させます。もし赤国が軍備を増やしているなら、青国は自らの軍備もそれに見合った分量で増加させようとするでしょう。同じ時点で赤国の側でも青国の動向を見ながら軍備の水準を変化させるので、両国の軍備は相互に作用しながら刻々と変化していきます。
このとき、双方が相手と同じ軍備を持っていても自国の防衛が可能であると考えるとは限らないという点に注意を払う必要があります。例えば、赤国の軍備が1単位増加するたびに、青国は軍備を2単位は増加させなければならないと考えるかもしれません。これは青国の防衛係数が2であることを意味します。青国がこのように考えることは不可解であると思われるかもしれませんが、軍事技術の面で自国に大きな遅れがあると青国が確信しているような場合、赤国が部隊の規模を1単位増加させるたびに、青国は自国の部隊をその2倍にしなければ実質的な均衡を維持できないと考えることは必ずしも不自然ではありません。
ただ、いくら軍事上の必要があったとしても、国家は無尽蔵に軍備を拡大できません。両国は国内の軍備を維持、造成するために、国内の土地、資本、労働力など生産活動に必要な要素を民間部門から抽出し、政府部門へ移転させています。つまり、軍備は少なくとも民間部門の生産活動にさまざまな経路で負荷をかけることになります。リチャードソンは軍備の拡張にこのような代償があることを踏まえ、その影響を疲弊係数という形で組み入れました。この値が大きくなるほど軍備の拡張は難しくなります。
ここで理解しておきたい重要なポイントは、リチャードソンのモデルでは、疲弊係数が防衛係数を上回ると、国家は軍備を拡張するのではなく、むしろ積極的に軍備を縮小すると想定されていることです。つまり、条件によっては軍拡競争の反対である軍縮競争が起こることもあり得るのです。リチャードソンのモデルは一般的に軍拡競争のモデルとされることが多いのですが、軍縮を分析したい方にとっても有益なモデルである理由はこのような特徴から説明できます。
国家の軍備の水準を決める第三の要因が不満因子です。これは自国の軍備の水準に対して国民が何らかの不満を感じているとき、つまり軍備を拡大してほしいと考えていることを示している因子です。排外的なナショナリズムの拡大、過去の講和条約の条件への不満、あるいは単なる恐怖心などによって強化されると考えられます。これが国家間の相互作用に与える影響については後で述べますが、軍拡競争の重要な要因となり得ます。
モデルを使った分析の例示
リチャードソンのモデルを使って簡単な分析を行ってみましょう。青国が150万名、赤国が200万名の兵員から構成された軍隊を保有しており、防衛係数、疲弊係数はいずれも1、不満因子は0と設定します。青国はすぐに赤国が軍事的優位に立っていると見て軍備の拡張を開始しますが、反対に赤国は自国の軍備に余剰があると見て軍備の縮小を開始します。このため両国はいずれも175万名の軍備水準を目指してそれぞれの軍備を調整し、175万名に到達すると均衡状態になります。この間に世界全体で見た軍備の規模は350万名のまま変化しません。
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これは青国と赤国が平和な状態に向かうパターンであると分かります。次にその他の条件をそのままにしつつ、青国の防衛係数だけを1から2に切り替えてみます。青国は赤国の軍備1単位に対して2単位の軍備を必要とすると考えるようになると、状況が一変し、軍拡競争が始まります。
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このパターンでも最初に青国が軍拡を始め、赤国が軍縮を始めるという初動に違いはありません。しかし、青国はすぐに赤国の軍備の水準に追いつき、しかも赤国の軍備をはるかに上回る軍備を保有しようと軍拡を続けます。このため、赤国も青国の軍備に引きずられる形で軍縮から軍拡へと路線を変更することになります。そのことが結果として青国をさらなる軍拡へと向かわせることになります。これは戦争に繋がる危険な状態であると解釈できます。ちなみに、青国と赤国の防衛係数がどちらも2である場合、青国だけでなく赤国も最初から軍拡路線を採用するので、初期から軍拡競争のパターンに陥ることになります。
リチャードソンのモデルでは、軍縮を推進するために疲弊係数が大きくなることが重要です。必ずしも双方が疲弊する必要はなく、一方だけが疲弊するだけでも軍縮を進める大きな要因になります。疲弊係数が国家間の相互作用に与える影響を確かめるために、青国と赤国の防衛係数がどちらも1の状態で青国の疲弊係数だけが1から2に変更された場合にどのような事態が起きるのかを見てみます。
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このような軍縮競争が起これば、青国と赤国の軍備は0になるまで縮小され、やがて平和な状態に至るでしょう。青国だけでなく、赤国の疲弊係数も1から2に変更している場合は、この過程がより急速に進むことになります。簡潔に述べると、青国と赤国の疲弊係数の積が、両国の防衛係数の積よりも大きい場合、リチャードソンの方程式では軍拡競争のリスクがないと考えられています。ただし、青国と赤国のどちらかの不満因子が1以上である場合、一見すると安定した状態に至ったように見えても、緩やかな軍拡競争が進む場合があることが分かります。青国と赤国の防衛係数、疲弊係数をいずれも1に戻し、青国の不満因子だけを3に変更してみます。
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リチャードソンの方程式で不満因子が演じる役割は小さいように思えますが、長期的観点で見ると、軍縮を妨げる重要な要因となる可能性があることが分かります。不満因子は双方の軍備の相対的な水準と無関係に軍備を拡大させるため、これが取り除かれない限り軍備の水準を緩やかに上昇し続けることになります。
まとめ
リチャードソンの軍拡競争モデルを踏まえると、相互に影響を及ぼし合う国家間で平和を維持するために、現在の軍備の相対的な水準それ自体に注目するだけでは十分ではないことが分かります。たとえ軍拡競争を避ける目的で双方の軍備を部分的に削減することに成功したとしても、双方の国家の防衛係数の積が疲弊係数の積を上回っている限り、軍拡競争が再開されるのは時間の問題です。また、その条件が満たされていたとしても、どちらかの国で不満因子が軍備の増強を要求している限り軍拡競争が終わることはないことも見てきました。
リチャードソンのモデルは現実の世界で起きている軍拡競争を説明するためにベストな選択肢ではない可能性があり、さまざまな修正や拡張が図られてきました。このテーマに興味がある方は、手始めにサンドラーとハートレーの共著『防衛の経済学』の第4章「軍拡競争」で詳しい解説を参照するとよいでしょう。この解説ではリチャードソン・モデルを発展させた研究が紹介されており、特に冷戦期の軍備管理の分析でこのモデルがいかに重視されていたのかがよく分かると思います。少し古くなっている部分もありますが、他の防衛経済学の分野を知る上でもよい文献です。リチャードソンの原著に当たることは必ずしも必要ではないと思いますが、念のために参考文献に挙げておきます。
参考文献
Richardson, L. F. 1960. Arms and Insecurity: A Mathematical Study of the Causes and Origins of War, Boxwood Press.
サンドラー、ハートレー『防衛の経済学』深谷庄一監訳、日本評論社、1999年
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