翻訳資料:英国陸軍『1920年版野外要務令』「戦いの原則」の翻訳
1918年に第一次世界大戦が終結すると、各国では前線で得た経験を踏まえ、軍事学の調査研究が活発になりました。当時の英米圏の研究動向の特徴として指摘できるのは、J. F. C. フラーの研究に影響を受けた「戦いの原則(principles of war)」という考え方が広く受け入れられるようになったことです。
イギリス軍が1920年に出版した『野外要務令(Field Service Regulations)』でも、フラーが提唱した戦いの原則の考え方が取り入れられたことが確認できます。この記事では、戦いの原則を学ぶ方々に向けた研究資料として、1920年版『野外要務令』第2巻第1章「戦いの原則(The Principles of War)」を翻訳しました。戦いの原則の部分だけでなく、その前後の解説も読めば、理解が深まると思います。
英国陸軍省「戦いの原則」(1920)
1 はじめに
イギリス陸軍は、本書(訳者注『野外要務令』)に収められたドクトリン(doctrine)に従い、平時には訓練され、戦時には指導されることになるだろう。すべての指揮官は、このドクトリンを徹底して覚えるべきであり、現地で決心を下さなければならないときには、それを最重視すべきである。
戦争で成功を収めるためには、身体的な資質よりも、精神的な資質の方が重要である。勇気、活力、決意、そして敵を打倒しようとする国民の決断がもたらした大胆な攻撃精神がなければ、兵力、武器、物資、技能があっても十分ではない。戦争で必要とされる精神的な資質を育むことは、軍隊の訓練で達成すべき第一の目標である。その次に重要な目標が、組織と規律、心と体の鍛錬、そして戦技の習得である。最後に達成すべき目標が、あらゆる部隊の指揮官に巧みで、毅然とし、思慮に富んだリーダーシップを発揮させることである。また、部隊行動の計画がしっかり固まり、入念に準備されていなければ、その部隊が精神的にも、身体的にも最高の能力を備えていたとしても、役には立たないだろう。ひとたび戦闘が始まれば、その成否は下級指揮官の戦術能力と主導性に大きく左右されるだろう。近代的な武器が出現したことによって部隊を広範に分散させなければならなくなったため、下級指揮官の責任は大きくなる傾向があり、小隊長の効率的な任務遂行が軍の戦果を判断する尺度になる場合が多い。
2 戦いの原則
戦いの原則は以下のようにまとめることができる。
(1)目標の堅持
戦争のあらゆる行動で目標が重要である。目標が定まっていなければ、計画を立案し、活動を協同することはできない。戦争における究極的な軍事目標は戦場において敵の部隊を撃滅することであり、この目標が常に考慮されていなければならない。
(2)攻撃的行動
攻撃的な行動をとらなければ、勝利を収めることはできない。
(3)奇襲
奇襲は戦争で最も有効かつ強力な武器である。攻撃であれ、防御であれ、指揮官は敵を欺くことを第一に考えなければならない。このために、あらゆる手を尽くし、できる限りのことを行うべきである。
(4)集中
味方の優越した兵力、士気、物資を決定的時機に、決定的場所に集中し、それらを戦闘で活用しなければ成功を収めることはできない。
(5)戦力節約
すべての指揮官は敵に戦力を無駄に費やすように仕向けながら、味方の戦力を節約することを絶えず目指さなければならない。これは味方の打撃力を最大限に高めるように、あらゆる資源を適正に配分し、また運用することで可能となる。
(6)警戒
部隊の警戒とその連絡の保持は指揮官の第一の責務である。警戒行動では、我の部隊を敵の奇襲から守り、敵の情報収集を妨げ、本隊が移動や休止できるように掩護部隊を配置することを考えなければならない。適切に掩護された部隊は行動の自由を得て、戦闘の日に向けてその戦闘力を維持することができる。
(7)機動
機動とは柔軟であること、そして迅速に移動して行動する能力があることを意味しており、奇襲を実行するための重要な手段でもある。そのため、部隊を戦闘に参加させる際には、体力的な限界と利用可能な輸送手段が許す限りの速さで移動すべきである。
(8)協同
一国の軍隊において各部隊が協同しなければ、本来の能力を完全に発揮し、効果的に成果を上げることはできない。
3 戦いの原則の部隊指揮への適用
戦いの原則はそれほど数が多いわけでもなく、また難解なものでもない。しかし、これらの原則を適用することは難しく、それぞれの事例の状況によって方法が変化する。二つの戦闘の状況がまったく同じであるということは起こり得ないため、戦いの原則を適用する方法を画一的に決めることはできない。
戦争とは技術であって、厳密な意味での科学ではない。それぞれの状況に応じて指揮官は状況を判断しなければならない。また、戦闘ではじっくり考える時間はほとんどないので、すべての指揮官は普段から自分の判断力を養っておかなければならない。判断力を完全に自分のものにするためには、研究と演練を積み重ね、健全な軍事知識を獲得しなければならない。軍事的才能とは人間の本性を知り、それを最適な形で操作する術を知ることにかかっている。このことを決して忘れてはならない。
時間、空間、相対的な能力、士気、訓練、地形、気象、武器、通信、一般的な物資などは、計画を立案するすべての指揮官が考慮しなければならない要因である。
実際に経験したことで得た印象は、研究で得られる印象よりも鮮明であり、より長い時間にわたって記憶される。しかし、どれほど幅広く、鮮明な経験であったとしても、それは限定された経験でしかなく、その印象を過度に重要視する傾向があることには注意を払うべきである。経験から正しく推論するためには、考察と比較が絶対に必要である。
訳文終わり
訳者による解説
ここで示した戦いの原則は、軍事学を学ぼうとする人々に研究の基礎を与えてくれるものです。ただ、これが絶対的な原則であると考えるべきではありません。軍事学史において戦いの原則は根強い支持を受けてきましたが、その個別の内容や解釈をめぐっては議論がありました。国による違いもあるため、各国のドクトリンによって変化する部分がある点にも留意しなければなりません。
1920年版の『野外要務令』は、フラーの戦いの原則を初めて公式に軍隊の教範に取り入れたものでした。もともとフラーはこれらの戦いの原則を戦略の原則として提案していたのですが、教範では戦略と戦術のどちらかに適用されるという書き方にはなっておらず、むしろ戦術に適用されることを想定しているかのような書き方になっていました。
フラー自身の見解は変化しており、この教範が成立した後の著作で自身の戦いの原則が戦略と戦術のどちらにも適用可能であるという立場をとっています。その後も見解は変化しており、1926年に出版した著作『戦争学の基礎(The Foundations of the Science of War)』では、原則の内容をかなり修正していますが、こちらの説は現在ではあまり支持されていません。
イギリス陸軍は1924年の教範の改定で戦いの原則をそのまま残しましたが、1929年には「目標の堅持」を削除するなど、見直しを行っています。さらに1935年には教範から完全に削除されてしまいました。
イギリス軍の教範を参考にしたアメリカ軍の教範で戦いの原則が登場するのは1921年のことです。目標、攻勢、集中、経済(戦力節約)、機動、奇襲、警戒、協同が列挙されているだけでなく、単純明快な運用計画に沿って部隊を動かすべきであるという簡明の原則が新たに追加されています。アメリカ軍は戦いの原則を第二次世界大戦を通じて採用していますが、協同が指揮統一に修正されています。また戦後も順番を入れ替えるなど、分かりやすくなるように教育上の工夫が見られます。
見出し画像:U.S. DoD, Howitzer Prep(https://www.defense.gov/observe/photo-gallery/igphoto/2002238788/)
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