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国家の防衛を外国軍に委ねるべきではない、マキァヴェッリの警告

フィレンツェの行政官ニッコロ・マキァヴェッリ(1469~1527)(外部リンク:軍事学を学ぶ)が記した『君主論(Il Principe)』(1532)は、歴史的アプローチによって政治家が成功するための条件を明らかにしようとした古典的著作です。

国内政治においても、国際政治においても、その権力の基盤である軍備を充実させることが不可欠であると主張したことで知られており、その後の政治思想史の展開にも大きな影響を与えました。

今回は、彼が外国軍に依存することの危険性を指摘していたことを紹介し、なぜ彼が国家が同盟に基づいて外国の軍隊を頼りにしてはならないと述べていたのか、その理由を説明してみたいと思います。

良い軍隊がなければ、良い国家はあり得ない

マキァヴェッリが特に強い関心を持っていたのは戦争でした。彼は『君主論』とは別に『戦争術(Dell'arte della guerra)』(1519~1520)と題する著作を書き残しており、軍隊の組織や訓練、戦地における運用などを詳細に議論しています。

これほど軍隊に興味を示していたのは、それが国家の存立を確かなものにするために極めて重要な役割を果たす存在であると確信していたためです。マキァヴェッリは『君主論』で軍事こそが権力者にとって最も重要な政務であることを次のように強調しています。

「さて君主は、戦いと軍事上の制度や訓練のこと以外に、いかなる目的も、いかなる関心事ももってはいけないし、また他の職務に励んでもいけない。つまり、このことが、為政者がほんらいたずさわる唯一の職責である」(邦訳『君主論』125頁)

この他にも、国家が依拠すべき基盤として、よい法律とよい武力があると論じているのですが、優先すべきは武力であるとも述べています。

その理由としては、「しっかりした軍隊をもたないところ、よい法律が生まれようがなく、しっかりした軍隊があってはじめて、よい法律がありうる」と説明しています(同上、103頁)。

自国軍、傭兵軍、外国軍の中で傭兵軍が最も脆弱

ただし、精強な軍隊が存在しても、その兵士が自国民ではなく、傭兵であったり、あるいは外国の軍人であるならば、かえって危険が増すとも述べています。

つまり、軍隊の能力がそのまま国家の安定に繋がるのではなく、国家に対する軍隊の忠誠を繋ぎとめることが非常に重要なのです。

マキァヴェッリは軍隊というものを自国軍、傭兵軍、外国軍の3種類のパターンに分類しており、場合によっては3種類の軍隊を組み合わせた類型もあると想定しました(同上、103頁)。

自国軍とはその名の通り、自国の国民によって編成された軍隊であり、傭兵軍は金銭的報酬を目当てに集められた軍隊です。外国軍は同盟や友好関係などに基づいて援軍として派遣された外国の軍隊であり、これらの中では自国軍が最良だと主張していました。

傭兵軍の欠点は、金銭では命を懸けてまで兵士を戦場に留まらせることに限界があることです。

マキァヴェッリの言葉を借りれば「傭兵が戦場に留まるのは、ほんの一握りの給料が目あてで、ほかになんの動機も愛情もない。しかも、その給料ときては、あなたのために進んで生命をおとす気持ちにさせるほどの白物ではない」のです(同上、104頁)。

賃金労働者である傭兵は生きるために戦っているのであって、死ぬまで戦うことは合理的ではありません。

彼らは戦争が勃発するまでは、持ち場に留まるかもしれませんが、実際に戦争になれば、脱走や投降の機会を待ち望むようになり、かえって国家の防衛を危うくする存在になります。

外国軍はよく戦うからこそ最も危険な存在である

このような傭兵軍に比べれば、外国軍はより信頼できる兵力かもしれません。しかし、外国軍は優秀な兵力であるからこそ、最も国家の防衛にとって危険な存在になるのだと主張しています。

その最大の理由は、外国軍の兵士が自国ではなく、外国に対して忠誠を誓っているためです。つまり、外国軍が負ければ、自国もその敗北によって滅亡の危機に瀕しますが、外国軍が勝利したとしても、その外国軍が自国のために何かを与えてくれるとは限らないのです(同上、116頁)。

このリスクを説明するため、マキァヴェッリはビザンツ帝国で実際に起きたことを次のように提示しています。

「コンスタンティノープルの皇帝(ヨハンネス六世)は、近隣の国々に対抗するために、トルコ兵1万人をギリシアに呼びこんだが、この外国軍は戦争が終わっても立ち去ろうとしなかった。ギリシアの、異教徒への隷属は、じつはこのときから始まっていた」(同上、117頁)

外国軍の能力が高ければ高いほど退去させることは難しくなるため、対応はますます困難になります。外国軍の働きによって目先の戦争を切り抜けることができたとしても、その後で外国軍が自国を占領状態に置くでしょう。

第三国の武力によって勝つぐらいならば、自らの力によって敗れる方がまだましであるとさえ述べています(同上、118頁)。それほどまでに外国軍は国家の存立を根底から危うくするものであると考えられているのです。

むすびにかえて

外国軍に防衛を依存するリスクはマキァヴェッリが提示したリスク以外にもさまざまなものがあります。例えば、一般に同一の作戦地域で戦闘を遂行する場合、どちらかの軍隊に優先的な指揮権を設定し、指揮系統を一元化しなければ、効率的な指揮統制や作戦指導が困難になります。

しかし、自国軍を外国軍の指揮下に置くことには、軍事的な合理性が認められたとしても、政治的に容易なことではありません。軍隊への指揮権を手放せば、それは国家の主権的権利の一部を手放すことを意味するためです。

指揮系統を一元化しない場合、連合作戦は両国の調整によって遂行される必要がありますが、これはどちらの軍隊の指揮官も単独で作戦を指導できないことを意味します。これは円滑な作戦の遂行を阻害する要因になります。

外国軍を頼りとすることの政治的リスクは、平時において認識する場面があまりないかもしれません。だからこそ、彼の警告には意味があるのだと思います。

©武内和人(Twitterアカウント

参考文献

マキアヴェリ『君主論』池田訳、中央公論新社、2018年

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武内和人
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