❖相殺をひっくり返すと相乗効果が顔を出した❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年1月23日)
(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)
◆相殺をひっくり返すと相乗効果が顔を出した◆
去年スイーツ界を賑わせた存在の一つは「マリトッツォ」だったのではないか。そしてその賑わいには、人気商品となったというストレートにポジティブな部分だけでなく、論争を巻き起こしたというネガティブな部分もあった。
その論争はM-1グランプリで度々起こるものに似ている。M-1の場合、近年で一番大きかった論争は「マヂカルラブリーのネタは漫才なのかどうか」であろう。そしてマリトッツォにまつわる論争の場合は、「様々なコラボ的マリトッツォを見かけるが、これをマリトッツォと呼んでよいのかどうか」である。
この前、私がコンビニで見かけたマリトッツォは「モンブランマリトッツォ」である。以前にも「どら焼きマリトッツォ」というものがあった。これらを見て思ったわけである。
マリトッツォの概念は一体何なのか(❓)、純粋な概念を否定するようなコラボ的なマリトッツォを売り出すメリットは何なのか(❓)である。
マリトッツォという言葉を調べてみると、発祥は古代ローマまで遡るようで、古くはパン生地にハチミツやレーズンを混ぜたシンプルなものらしい。20世紀頃になってクリームを挟む形が定着し現在にいたるようで、本場イタリアでは朝食においてカプチーノとともに食べるのが定番ということである。
ただコンビニで見たモンブランマリトッツォは、当然のことながら純粋なマリトッツォではない。モンブランはフランス語で「白い山」を意味するスイーツで、フランスのサヴォワ地方とイタリアのピエモンテ州が隣接する地域の家庭で作られるお菓子が発祥と言われているため、マリトッツォとモンブランはもともと異なるお菓子である。
それらを組み合わせているので、純粋なマリトッツォではないし、同様に純粋なモンブランでもない。
古代ギリシャの哲学者であるディオゲネスは、それまで常識とされていた様々な価値観を否定した。例えば、人間というものはポリスを前提にして定義され、ポリスの中に価値を見出す存在だったが、彼は自らを「コスモポリテース(世界市民)」と名乗り、それまでの伝統的な人間の定義や価値というものを否定したのである。しかしそれは「破壊」で終わらず、同時に新しい定義や価値を人間に与える「創造」だったのである。
この定義や価値に関する「破壊と創造」について、モンブランマリトッツォを当てはめて考えたい。純粋なマリトッツォを数直線のプラス側に置き、他方に純粋なモンブランを置くと、モンブランマリトッツォは両者の定義や価値を破壊し、相殺してしまうゼロの位置にあるものに思える。
しかしそれは単なるゼロではなく、純粋なマリトッツォも純粋なモンブランも持ち得ていない新しい定義や価値を備えた異なるスイーツが創造されたと考えることができるのである。
これは、ある面で相殺であっても、別の面で相乗効果であれば、結果オーライだし、お互いウィンウィンの関係ということを示している。もともとの定義や価値は、個々の本質や存在意義など概念的な要素で、それが相殺されたとしても、新たな定義や価値の中に経済的な相乗効果を見出せるならば、商品としては大成功ということである。そこでは形而上学よりも経済学が優先されているのである。
ここまで御託を並べてきたが、理念はさておき実践として味見をしてみると、とても美味しかったので、大成功を実感することができた。論より証拠である。
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