僕らが旅に出る理由
気がついたら先週の3月17日で札幌から清里町の札弦へ移住して丸9年。
10年目に突入した。
まさか自分が個人事業をするなんて露とも思わなかったが、何があるかわからないものだ。
人生は小説よりも奇なりというもので、これだから楽しい。
そんななか、先日敢行した帯広と札幌への出店。
今回は長男も遠征に連れてきた。
仕事での遠出に連れてきたのは、はじめて。
いまは野球少年である彼に、新しくできた野球場での試合を見せたいというのもあったが、こんな世界もあるんだよということを見てもらいたくて連れてきた。
たまには子供と旅に
彼と2人で旅をするのはとても好きだ。
札幌に住んでいたときは電車(汽車)で倶知安まで行き、温泉に入って帰ってきたり、ラベンダーを見に富良野まで行ったり。
移住してから迎えた小学2年生の終わり、特急に乗ってみたいと家から目の前の札弦駅をスタートして帯広駅へ電車旅をしたのは、親も楽しめた良き旅だった。
札幌時代も今も住宅から駅が近かったため、家の近所を散歩して車体を見に行くこともあり、今でも電車が好きでいてくれている。
移住前はまだ小さく、地下鉄に乗った記憶が薄かったようで、移住後に札幌へ里帰りした際、地下鉄に乗ったときはなんと興奮してくれたことか。
テンションと体力が折り合わず、寝落ちした顔は今でも鮮明に思い出される。
物静かな性格の彼が、熱っぽく語ってくれるようになると、連れていって良かったなとしみじみ思う。
いまは弟もいるので、ごくたまに3人男旅でドライブをしたりする。
自然の風景も気に入ってくれているようで、北海道のなかで1番好きな町は阿寒摩周国立公園があり自然豊かな弟子屈町と言ってくれるのは、移住した冥利に尽きる。
保育園の年長時に藻琴山へ連れていき、本人だいぶ辛かったらしくトラウマぎみにしてしまったことから、まだ山へ一緒には行ってくれない。
また行きたいというのは親のエゴになるかもしれないが、本人の心が整ったらちゃんと相談するつもりだ。
自分の環境を認識するためのインプット
いま、日本の中でもかなり僻地で人のいない地区に住んでいる。
便利ではない環境の美しさや豊かさを知ってほしいというのはある。そう感じてもらいたいところは移住した大きな要因のひとつだ。
ただ、大勢多数の意見や動きを感じ取れないのはものすごく生きづらくなるし、スピード感がある物事の進み方、生活も経験しなければ、いま置かれている環境の素晴らしさに対しての認識が深まらない。
世の中、手元で起きていることだけが全てではないということも理解してほしいし、選択肢はいくらでもあることを感じてもらいたい。
「会社の常識は世の中の非常識」と言っていた方がいたが、まさにその通りで自分の周りことだけが当たり前ではなくて、周りの状況を鑑みなければ発想も行動も生活も人に配慮を欠いたものとなってしまうのだと、つくづく思っている。
そのうち1人でも旅をしていくのかもしれないけれど、外に出て感じる機会を大事にして欲しい。
いま置かれている現状
決してなにひとつ不自由なく生活させてあげられているとは、言えない。
事業を興したことで自由さや楽しさは体現できているかもしれないが、土日中心の仕事で部活の観戦などもなかなか行けないし、正味な話、家計を安定させているとはまだまだ言えない。
それでも最低限、家族の生活を守り、こんな生き方もあるんだよという示しになれば親としては本望なのかなと思う。
だからといって現状に甘えず、お客様に楽しんでいただき、一家を養える事業展開をして、踏ん張らなければならないのだけれど。
彼ももう中学2年生。
春休みと野球観戦が重なり今回は来てくれたけど、中学生・高校生なりのやることや友人とのかかわりもあって、こんな機会はもっと少なくなっていくのだろう。
身長も体型も近くなり、親の私服をそのまま着てくれるくらい大きくなった。
嬉しいものだ。
結局、出店営業中はお客様や関係者とのやり取りばかりになり、かまってやれないのでひたすらYouTubeを見ているだけだったが、いつかどこかで考え方のフックになっていれば。
そしてこれからもなにかの気付きになってくれるような生き方と仕事をしていかねば。
そう思う、帰りに立ち寄った思い出の温泉にて。
たまに生活感がないと言われることがあるが、いちおう2児の父親もやってはいる。