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息子が不登校になった日から 不登校記録(14)
こんにちは たけさゆです
前回は、学校が怖くなった息子に対して合理的配慮をしてもらえたことで、期待に胸高鳴らせて進級後の初登校をした日のことを話しました
担任の先生は、一年生の時に同学年で別クラスの担任だった「やさしくて受容的なクラス運営をしてくれる女の先生」「やさしく子供好きで子どもの気持ちを尊重してくれる明るくて楽しい男の先生」「もしくは2人のような雰囲気の先生」を希望しましたが、どちらの先生でもなく別の学校から来た先生でした
「どのような先生かは学校としては把握していないけれど、学年主任クラスの先生だ」ということで一安心したものの、
校内ではまだ他の先生の怒鳴り声が聞こえていた頃のことで、学年主任でベテランの先生ということもあってか規律に厳しいように感じられました
担任の先生は怒鳴ったりはしないものの、先生の心の在り方が息子にとっては圧迫感を感じる要因になっている様子でした
おそらく、不登校になるほど心が傷ついたリハビリ中の息子には
もっと受容的な在り方の先生があっていたのでしょう
登校2日目以降は徐々に気持ちがしんどくなっていき、1か月ほど経つ頃に登校の仕方を変えることにしました
このように息子の気持ちがしんどいままでは、相談先の心理士さん達からのアドバイスである「学校に慣れさせる」「友達ができて楽しく過ごせる」という状態になることは不可能だと感じたからです
私はその時期に一番相談していた心理士さんと話し合いをして、その内容を息子に提案しました
「給食の時間帯ならクラスの子達と話をする時間が持てそうだから、給食の時間に登校するのはどうかな?」と話すと、息子は気持ちが軽くなった様子で
「そうする」と言いました
その様子からも真面目なために自分を追い込みながら頑張っていたということが痛いほどわかりました
翌日から私たちは給食の時間に登校するようになりました
息子はみんなと一緒に給食を食べ、昼休みを教室で過ごし、明日の連絡事項を連絡帳に書いて先生からハンコをもらう、という一連の流れが出来上がりました
とはいっても息子は不登校を発症すると同時に母子分離不安も発症したので、何かとすぐに私のところに来ては安心する、という行動をしていました
それでも私は息子に寄り添っているつもりでした
息子が望むことをする
私の出来ることをするだけ
私が出来ることはすべてやる!
と心に決めていたからこそ、毎日息子に付き添って登校していました
心理士さん達に言われた言葉があります
「少しづつ慣れていけばそのうち大丈夫になってお母さんのところにこなくなるから」
私はその言葉を信じきっていました
同時に何かモヤモヤするものを感じてもいました
それより何より一番には、
助けてくれる人、すがる人を求めていました
心理士さんと、心理士さんが言うことを信じたかったのだ と思います
心の中の気がかり
(息子は心が大けがしてる状態なんだけど、、)
(もともとHSCだし、ぞんざいに扱われたことで不信感を持っているんだけど、、)といった
息子の状態をいくら伝えても本当の理解はしてくれませんでしたが、
心理士さんが一生懸命「どうにかしてあげよう」と考えてくれていることは伝わってきていました
だけどモヤモヤ、、
当時の私には
そのモヤモヤが何なのかハッキリ分かりませんでした
今思えば、心のずっと深いところ、潜在意識からのメッセージ、
「それは違う、何かが違う」ということを
現実で頑張っている私に教えてくれていたのかな と思います
とにもかくにも、
息子が給食を食べている間、私は廊下で読書をして待っていました
それは二年弱ほど続きました
今までの人生で一番本を読んだ時期なのではないかしら!?
そして一ヶ月に一度くらいは教頭先生と面談をして
息子の様子を伝えたり、今後について話したり、アイディアを提案したりしていました
年度が切り替わったタイミングで着任した教頭先生でしたが、
私たちにとても寄り添ってくれたので本当にありがたかったです
「今度の教頭先生はとても寄り添ってくれる!よかった!」
と、息子の状態に対する気持ちとは反比例して希望が見えたのを思い出します
そして、この先二年にわたり、信頼できる教頭先生を頼りながら
「学校における息子の居場所づくり」をしていくことになっていきます
つづく
♡私たちは 生きているだけで 素晴らしい♡
子どものペースを尊重して
ママのペースも尊重して
それぞれの マイペースで歩んでいこう
大丈夫 進んでいるよ
読んでくださりありがとうございました^ ^