息子が不登校になった日から (31)
こんにちは たけさゆです
前回は、教頭先生と「校内フリースクール」についてお話をして共感を得られ、前向きに検討してくれることになった話をしました
私は、学校の運営については教頭先生がしているのだし、学校内における全ての事情を一番わかっているのは教頭先生だと感じていたので、
「校内フリースクールを前向きに検討する」
という言葉をポジティブに受け止めていました
校長先生がどのような決定をするのか、、ふっと頭をよぎることもありましたが、
「教頭先生が必要だと感じてくれたのだからきっと大丈夫!」と楽天的に考えていました
もとは、めちゃくちゃマイナス思考の私が、こんなふうに前向きに考えられる、というのは私人生史上初!のことで、
自分でもどうしちゃったんだろう〜、、でもポジティブなのだからいいよね⤴︎くらいの楽天ぶり
今思えば、我が子が不登校になってからいつも必死だった
周りのサポートの方からのアドバイス、家族の意見、たくさんのことに影響を受けつつも、
息子が安心できる場所は?
安全が保たれた場所は?
不登校の子たちの部屋はどこなの?
傷ついた子たちの居場所を担保してほしい!
そう思っていました
だから不安を抱えやすくなっている行き渋りや不登校状態にある子たちが、なるべく早くにサポートを受けられる場所を作って欲しかった!
だからなんです
だってね、校内フリースクールが学校内にあったらとても助かると思いませんか?、、
全ての子に対応できるという「完全」はどの世界にもありえないけど、
少なくとも、不登校の初期の段階で「校内フリースクール」が校内にあったら、ここまで全国の不登校児童生徒は増えるはずないですよね、、きっと減っていく可能性だって大いにあります
前に紹介した例では、不登校にカウントされる子どもが激減して、元不登校の子どもたちは楽しく学校に通うようになったのですから!
そして、折を見て教頭先生に「校内フリースクール」の件がどうなったかを確認しました
結果は「残念ながら許可されなかった」とのことでした
私たちはがっかりしましたが、それでも居場所はあるのでまだ救われていました
仕方がありません
そして、「不登校の子がzoomで授業に参加するための部屋」の利用を申し出ました
現状のままでの利用でしたが、
「学校で疲れてしまった時に少し休むために利用してもOK
そこで本を読んでもOK
付き添いでもOK」にしてくれたので、
情緒級で疲れた時、給食の前後で出たい授業がない時などに利用させてもらうことにしました
息子は、そのような形での利用でも、納得して、嬉しそうでした
私にはそう見えました
けれど、教頭先生に対する信頼感は失っていました
なぜか
事故に遭って骨折して、やっと松葉杖をついて歩いている人から松葉杖を取り上げたらどうなりますか?松葉杖を取り上げた人をどう思いますか?
それと全く同じことだと感じています
不登校の子どもは、非常に敏感になっています
本能で警戒心が強くなっていて、不安を感じやすくなっている
どのようなサポートや約束や話に上がっていたことも、それがなくなるとなると、
がっかりして、裏切られた 否定された 大切にされていない などの自己否定に繋がってしまう
心が健康な子供とは明らかに精神状態は違っているのです
不登校の子どもが、普通の子ができることができなかったり、赤ちゃん返りしたり、不安症になったり、発達性トラウマのようになったりすることは当然なのだと感じます
少し話は飛びますが、「発達のグレーゾーン」と言われる子どもの中には、
多くの「発達性トラウマ」の子どもが含まれていると感じています
それはどの居場所であっても発生する可能性があり、長期にわたりストレスを受け続けたことが原因になっています
我が子もこれに多少なりとも当てはまっています
それに加えて3年生の時には心から信頼していたカウンセラーさんからいきなり教育的に関わられた結果さらに2次障害を負ってしまいました
そもそもで、神経発達症でもなくても、発達途中の子どもの出来ることが凸凹しているのは当たり前だし、それって得意不得意の個性だよね、という見方はあると思いますが、
精神的に不健康な状態である「発達性トラウマ」と、精神的には健康である真性の生まれつきの「神経発達症」とは全く違うものなので、
誤診されて間違ったアプローチを受けると逆に症状が酷くなり、長期化し、予後が悪くなってしまいます
「神経発達症」と「発達性トラウマ」
「発達性トラウマ」について知ったのは、出来事が起こった後なのですが、
初めからその相違を私は感じていましたので、我が子を「グレー」だと言った医者や発達障害っぽいと判断したカウンセラーさんなどの言葉に違和感を持っていました
でも、周りの人から見ると、そう見えるのでしょうね
特に昔の元気だった頃の子どもの様子を知らない人から見ると、、
学校や病院にはASDやADHDの色眼鏡をつけた大人たちがたくさんいるのだろうな、
ということを感じずにはいられません
神経発達症と診断をつけるのが流行っていますし、どの時代にも流行りの診断は存在するのかもしれません
過去にも鬱などが流行りました
そして色々な仕組みが回っているのを感じます
話を教頭先生への信頼感がなくなったことに戻します
息子は、教頭先生に懐いていて笑顔でお話ができたのに、この一件があってからは教頭先生から逃げるようになってしまいました
でも、それ以外は今まで通り学校を楽しむこともできていて、新しくできた部屋を利用するようにもなりました
利用できるものは利用させてもらおう⤴︎
へこたれてはいませんでした
そして、私の頭には、「情緒級への転籍」というワードがちらつくようになっていきました
つづく
♡私たちは 生きているだけで 素晴らしい♡
子どものペースを尊重して
ママのペースも尊重して
それぞれの マイペースで歩んでいこう
大丈夫 進んでいるよ
読んでくださりありがとうございました^ ^