あがり症の恐怖!~身体に刻まれた恐怖
動画紹介(文字起こし全文掲載)
今日ご紹介する動画は、「あがり症の恐怖!」です。
あがり症の方の苦しみは、一言で言うと「〇〇の恐怖」。
あがり症の方が抱える恐怖とはどのようなものなのか?
何があがり症の方を深く苦しめているのか?
これらを理解することが、あがり症との向き合い方への大きなヒントになります。
あがり症当事者の方はもちろん、周囲の人にとっても目からウロコのお話です。
身体に刻まれた恐怖
今日は、「あがり症の恐怖」について、お話していきたいと思います。
あがり症の方は、人前で話す場面が怖いですよね。
その時だけじゃなくて、直前、その日、段々と時間が近づいてくると怖くてたまらない。
前日、1週間前、1か月前、中には1年前から緊張する人もいますね。
そして、近づけば近づくほど恐怖は積もっていくんですね。
それが、いざ人前に出て、話す場面になるともう、いたたまれないですよね。
あまりの恐怖に、言葉が出なくなる人もいるし、汗がすごく止まらない人もいるし、手の震えが止まらなくなる人もいるし、恐怖に伴う症状が色々と出てくるわけなのです。
この恐怖というのは、あがり症の講座や私の講座に行って、あがり症の仕組みを聞いて、「なるほど、そうでしたか!」と分かったとしても、いざ本番で人前に出たときに、「そういえば、佐藤先生があんなことを言ってたな」と思い出して、「こうやればいいんだな」と、いざやろうとしたとしても、頭の理解と身体に刻まれた理解というか本能的な理解は、全く別次元なんですね。
ここのところで、ピタッと止まってしまう方がしばしばいます。
つまり、人というのは、思考次元——ああすればいいんじゃないか、こうすればいいんじゃないかと考えて、これで改善する人もいる一方で、論理じゃ説明がつかない世界があるんですね。
人は一人では生きられない
じゃあ、あがり症の方の耐え難い恐怖がどんなところにあるかというと、様々な観点からお伝えできるのですが、まず一つには、人というのは一人では生きられないというところがあります。
人だけじゃないです。
動物もそうですが、例えば哺乳類は群れを作るわけですよね。
人間も集団になることで、例えばこの人はこれが出来る、古い時代で言うと、槍が作れる、魚が取れる、野菜が作れるなど、その人それぞれの特性を生かして、群れで生きているわけです。
そして、群れで生きているということは何を意味しているかというと、自分が何らかの能力やスキルを群れに提供することで、“私はここに居ていい”という実感を得られる。
赤ちゃんなら赤ちゃんで、具体的な何かをすることで群れへの提供をするわけではないですが、赤ちゃんがいることで皆が幸せになるとか、あらゆる人が何かしらの特性を通して、群れにいることで自分の居場所を確保できる、これが大きいところです。
つまり、群れから離れることは、動物にとっては、時に死を意味するんです。
例えば、シマウマも大きな川を集団で渡ろうとして、一頭がこぼれちゃったら、それは死を意味するんですよね。
このようなことが本能的に刻み込まれている。
あがり症の方が恐怖場面に陥ったとき、皆は自分とは違う世界にいるというか、普通に人前で喋ることができていて、人前で緊張するように見えない。
なのに、自分だけがそれを失敗してしまう——群れから逸れてしまう、他者から否定されてしまう、この集団からこぼれてしまう、その恐怖。
一言で言うと、あがり症の方がよく言うのですが、「自分だけが」という言葉になってしまうんです。
「自分だけがどうしてこんなにあがってしまうんだろう」
「自分だけが何でこんなに苦しいんだろう」
これは、別の言い方をするなら、“孤立”ということですね。
つまり、あがり症の方の根源的な恐怖というのは、自分が失敗すること、自分があがってしまうことによって、集団からこぼれて、孤立すること、これがあまりにも耐えがたい恐怖になってくるわけですね。
この孤立状態でいるとどうなっていくかというと、あがり症の方が孤立状態でいるときに、自分のあがり症の悩みを開示できないという方がほとんどですよね。
周囲の人に言うことによって、自分が否定されるんじゃないか、バカにされるんじゃないかと思って、これを秘密にしておくわけです。
つまり、自分だけしか知らない自分の弱みを維持している——孤立、なわけなのですが、もう誰にも相談できないから辛い。
それで、ますます孤立化していく。
さらに、集団に出るとまた失敗するんじゃないかということで、今度は家で引きこもるようになる。
孤立の悪循環が続いていくわけなのですね。
孤立から繋がりへ
だから、この孤立という根源的恐怖に対して、どうやって救われていくか。
色々な方法はあると思いますが、自分だけがという風に思って、「どうして私だけが」という人が、どうしても言えなかった悩みを自己開示したとき、例えば自分と同じ悩みを持つ仲間と出会って、「僕はあがり症なんです」「私もです」と分かり合えた瞬間、これが繋がりなんですね。
孤立からの解消、分かってくれる人がいる、これが繋がりなんですよ。
このとき、人によって表現は色々ですが、ほっとするとか、自分だけじゃないと思えるとか、そのように繋がりが生まれてくるわけですね。
あるいは、このようにカウンセラーでもいい、「そっか、それはつらかったですね」であるとか、「そんなに苦しんできたんですね」と言われたとき、この人は分かってくれると思う。
これも繋がりなんですよ。
人は、繋がりによって救われていきます。
だから、あがり症の方の恐怖というのは、孤立を助長するものですが、いつかどこかで繋がりの回復がなされ、分かってくれるという繋がりを一つでも二つでも増やしていく、このようなことが大事なんですね。
だから、正直に言って、あがり症の薬などはあまり効かないと思います。
そのような自覚をしている精神科医の方も多々いると思うのですが、薬という次元の話ではないんですよね。
だって、本能的な寂しさ、本能的な孤立感に対して薬が効くか、といったら、誰にでも分かるのではないでしょうか。
抗不安薬を飲んだからといって、根源的な孤立の恐怖が取れるかといったら、そんなことはないわけですね。
だから、本当に大切なことというのは、そういった対症療法ではなくて、人と繋がることなんですね。
あがり症というのは、症状云々に対して、ああしなきゃこうしなきゃと考えている限りは、なかなか上手くいかない。
なぜなら、そもそもの孤立が解消されていないからです。
だから、どこかで孤立を解消するために、これまで言えなかった自分の悩みを言うであるとか、そういった在り方が、あがり症を治さずしてあがり症が治るという、あがり症の鉄則なんです。
もう一度言います。
あがり症というのは、あがり症を治そう、治そうとすると、治らなくなります。
逆に、あがり症の症状を治すことを諦めたとき、あがり症は治っていく。
これが、あがり症の根本なんですね。
あがり症の症状に対しては、ノータッチでいいんです。
とにかく、今あがり症で悩んでいる方がおられたら、ぜひ何よりも他者と繋がってください。
繋がりとは、色んな繋がりの形が考えられますけれども、これまで言えなかった自分から誰かに悩みや弱さを言ってみるとか、友達との仲をより良い関係にしていくでもいい、同僚と仲良くなるでもいい、家族とより関係性を深めるでもいいかもしれない。
ありとあらゆる形の繋がりを回復していく。
これがあがり症の方の根源的な恐怖である“孤立からの脱却”、救いの道なんですね。
今日は以上になります。ありがとうございました。
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