久々に「写ルンです」を忍ばせてみて気づいたこと
年末年始、久々に『写ルンです』をポケットに忍ばせて過ごしてみた。
不思議なことに、大人になった今でも「自分だけのマシンを手に入れたワクワク感や高揚感」がある。
なんだろう、小さいころに「好きに撮っていいよ」と渡されたときの、あの感じ。
今では自分だけのiPhoneやApple Watchだって持っているのに、いまだにちょっとだけ世界が広く見える気分になる。
でも、振り返るとそんなにこれまで使ってこなかった。「写真撮ってみたい!」と思うたびに、飽きっぽい僕はいろんなものに浮気してきた。
いろんなカメラを買ってみたものの…
社会人2年目のときには「フィルム面白いかも!」と思って、横浜の「カメスズ」でKONICAのC35を買った。
フィルムのエモさに味をしめつつも、段々とフィルムのセットや現像に出す手間がめんどくさくなり、次第に使わなくなってしまった。
社会人3年目のときには「コンデジならめんどくないし、エモいスナップ写真撮れるぞ!」と新宿でRICHOのGR2を中古で購入。
初めての本格的なカメラ(ぼくにとって)だったので、絞りやF値、isoなど基本から勉強したし、いろんなところに連れていった。
「森山大道みたいなカッコイイ写真を撮るぞ~!」と意気込んでいた。
でも、またもや段々と使わなくなっていった。
いろいろと設定できてしまうからこそ完璧を求めて、たくさん撮りまくって、加工もして、設定も変えて、、、何が正解かわからなくなった。
結局「いや、いまはiPhoneでとってもいい感じにエモく編集できるし」と正当化して、スマホに回帰する、みたいなことを繰り返してきた(本当にもったいない)。
社畜生活に疲れた衝動で写ルンですを買った
ちなみに僕は社畜である。
毎日だいたい23~24時まで仕事をし、帰宅するころにはだいたい日をまたぐ。休日も家で資料作成をしていることが多い。
くわえて仕事柄、かなり論理的思考力たるものが求められるので、左脳ばかり使っていて頭が痛くなる。
だいたい寝てるか仕事してるかのどちらか(しかも仕事の夢もよくみる)ので、ほとんど左脳に偏った生活である。
そんな社畜にも2020年の年末年始が訪れた。
公私ともに本当にいろんなことがあって、この1年につかれていた。
「いっさい左脳を使わず、芸術とかアートとか、写真とか音楽とか、なんでもいいからエモくて、情緒的な、チルなそんな休日にしたいぞ」
という欲望が強烈にあったぼくは、美容室の帰りに寄った銀座のロフトでたまたま見かけた「それ」を衝動買いしていた。
年末年始にたくさん撮ってみた
今回久々に写ルンですを使ってみて、気づいたことがある。
このマシンはマジで最高である。
語彙力のない文章力だと自覚しているが、最高だった。
なぜかって、頭を使わなくていい。
いろんなカメラを使っていたときは「設定をこうして、ああして、、」とめちゃくちゃ考えさせられた。しかも撮ったら終わりではく、Lightroomをつかっていろんな数字をいじって。
A型のぼくにとっては完璧にやりたく、でも仕事のようだった。
対して写ルンですは気楽なもんだ。
きれいに撮れていなくても「そういうもんだから。なんならこれが味ですけど」という顔をして正当化できる。
できることが限られるって、一概にデメリットではないし、自分に合ってるなと感じた。
エモくない?
そして何よりエモい。
振り返ると自分が「お気に入り」に保存している写真はだいたいフィルムか写ルンですで撮影した写真ばかりだった。
ぼくはプロ野球観戦が唯一と言っていいほど継続している趣味で大好きなのだが、プロ野球においては「記録より記憶に残る」という言葉が使われることがよくある。清原や新庄はまさにそうだろう。
写ルンですはまさに「記憶」だと思った。
写真がデータではなくて思い出になる。
このときこういう気持ちだったな、という記憶が写真にのっかるイメージ。
うーん好きだなーと思う。
軽井沢と東京
いくつか備忘録として残しておこうと思う。
記憶=思い出と一緒に。
今後もいろんな思い出を写ルンですとともに残していきたい。
▼軽井沢で食べた朝ごはん。普段は一切たべない。
▼荷ほどきの高揚感。
▼フォントかわいい。
▼同僚たちとお台場へ。海はいつだってエモい。
▼早朝に目が覚めて。
▼吉祥寺の落書き。寒い日だった。