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本稿の目次①~➃は、去る11月16日、白山平泉寺歴史探遊館「まほろば」映像ホールにて開催された講演「石は黙ってものを言う」で私が話させていただいた内容の中、「下城戸」に関する部分だけを抜粋した記事です。 文体は講演での話し言葉を改変してあります。 (目次⑤は新たに10枚加えた画像「いのち」で、講演とは無関係です。) ① 下城戸は検問所だった 下城戸は上城戸とともに一乗城下町の玄関(入り口)でした。 その役割は二つあったと言われています。 一つは往時、外来者(旅人
戦国の城下町跡、一乗谷朝倉氏遺跡(国特別史跡:福井県)には国の重要文化財に指定されている貴重な出土物がたくさんあります。 その一つが「花器」です。地元の越前焼のものや、遠く外国で造られたものまで多種多様です。 戦乱の殺伐とした世に、山懐の一乗谷で朝倉人が花を愛でる文化的な生活を過ごしていた、これは当時の朝倉文化の質の高さを示していると言えるでしょう。
桜の話題は季節外れですが、「冬来たりなば春遠からじ」の言葉もあります。また、1月は「行く月」、2月は「逃げる月」、3月は「去る月」とも言われます。冬は足早に過ぎてゆくと思います。 春爛漫の4月も遠い先のことではありません。 国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」は桜の名所です。一乗谷の春と言えば桜です。一乗城下町跡では谷全体に桜の花が咲き誇り、甘い香りが漂います。 戦国時代に103年間、外敵の侵攻を一度も許さず栄えた平和の理想郷、一乗城下町です。春は華やかさに満ちていまし
花咲く戦国城下町跡「朝倉氏遺跡」に、桜の花見時でも観光客の皆さんがどなたも訪れない(ご存じない)区域があります。もったいないです。 今回は発掘&整備がほぼ完了している平面復原区を中心に、花見シーズンにも見学者にほとんど知られていない「桜見物の穴場」をご紹介します。 現地を散策しながら春爛漫の一乗谷を独占している気分でご覧ください。 なお、巻末には特別画像集「一乗谷に春を呼ぶ花」と題して、早春の一乗谷の風物詩である「マンサク」の画像も12枚(撮影年月日付き)貼らせてい
戦国の一乗城下町には山裾の緩やかな斜面に12段に造成された住宅団地がありました。地元言葉では「ジャダン」と呼ばれています。 この蛇谷は未発掘ですが、朝倉氏一族の屋敷跡だと伝えられています。 数年前までは一面杉林に覆われていましたが、現在ではほとんど伐採されて、原状に近い地形がはっきりと確認できます。 今回は桜の香りが漂う「蛇谷」とそれに隣接する「中の御殿跡」を、未公認ボランティアガイドの北野がご案内したいと思います。 いつの日か桜のシーズンに朝倉氏遺跡へお出でになり
We are all alive in Ichijodani. ☆ Healing Version ☆ 本記事は昨年7回シリーズで、1月から2月にかけて初稿を、 7月には一部を手直しして投稿した再稿をもとに、 約4300字、55枚の画像で新しく作成した全面改訂版です。
国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」の早春の花の話題です。 朝倉氏遺跡に関する資料で調べてみました。 450年前の一乗城下町にはどんな草花が咲いていたのか、このような調査結果はこれまで公表されているのを見たことがありません。 動物音痴であるだけでなく、「花音痴」をも自認する私ではありますが、朝倉関係の書物で調べた結果は次の通りです。
冒頭から過去の文章を転載し、失礼しました。
一乗城下町跡(国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」)を散策していると、朝倉人の喜びと悲しみの声が聞こえてきます。 「医師の家」(現在で言えばクリニック)跡に佇んでいます。 私が一押しの見学場所、もし私がガイド役ならここだけは何としてもご案内したい遺構、そして私のこだわりの撮影スポット‥‥‥‥それが「医師の家」跡です。
上の見出しの画像の三角🍙みたいな小山(裾から高さ約40m)を月見山と言います。最上部には見張り櫓跡があります。 この月見山の向かって右側に、当時一乗城下町で最も家屋が密集していた区域で八地谷(やちだに)(別名八地千軒)と呼ばれる区域があります。 その八地谷の密集区域を、山際から一乗谷川へ東西を貫いて八地谷川が流れています。
国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」の下城戸をご紹介する記事です。 2021年1月31日に今回と同じ題名で投稿した記事を大幅に改編しての再投稿で、完結編です。元の記事は画像10枚、文字数1172字、「スキ」をいただいた数は12個でした。 今回は特に画像を大幅に増やして、内容を拡充したつもりです。 いつの日か朝倉氏遺跡を訪れることがあった時にはご参考にしていただけるのではないかと願っています。 お読みいただけると嬉しいです。