映画メモ 10月初旬
①Grave torture (インドネシアホラー)Netflixで鑑賞←💛💛💛オヌヌメ
②PECHI (タミルホラー)Amazon primeで鑑賞
③Kishkindha kaandam (マラヤーラム家族サスペンス)←💛❤💛とてもオヌヌメ 劇場で鑑賞
遂に10月。今月も楽しい映画が観られますように。
①Grave torture(インドネシア、2024年)
あらすじ
爆弾自爆テロで両親を失ったシータとアディルの兄妹は、預けられた寄宿学校から逃れ、後年シータは富裕層向け老人ホームの介護士に、アディルは葬儀屋になった。宗教が理由で両親を失ったことで宗教の教えに懐疑的なシータ。彼女は、墓に入ってから人は天使による責め苦を受けるという教えを証明するため、死んだ入所者の墓にカメラを持ち込み、アディルに蓋をさせ、翌朝掘り起こしてもらうことにしたが…
神と天使と悪魔を恐れるイスラム教徒
死んでから天使の前で生前の罪を問われて拷問にかけられるという考え方は、キリスト教徒のみならず同根の宗教であるイスラム教徒も共有していると分かってひどく面白く感じた。
製作課題としては『アザーズ』にも通じる作品で、宗教を非宗教の観点から分析している。その上で分析結果をインドネシア特有の容赦のないホラー暴力描写でもって表現する。しかも監督はジョコ・アンワル。
ジョコ・アンワルの作品はチラホラとしか知らなかったが聞いていたとおりすごい作家だと思う!!奇想天外な物語が大変面白いし怖い。そして彼は多分あれね、この世ではない変異世界が大好きと見た。それでいて社会風刺・批判の入れ方も上手い。
インドネシア社会自体は今後イスラム教的価値観を強める方に行くのかというのは、ゲイである私にはそれなりに関心のあることなのだが、ジョコ・アンワルはイスラム教の持つ人に対する懲罰的で厳しい考え方を解体して見せる形で、人の集合体としての宗教の危うさから自由であろうとしている…というよりは本当にえげつない描写や物語が大好きなのだと思う。リー・ワネルに似たものを感じる。
②PECHI(インド、タミル語、2024年)
あらすじ
山にトレッキングに来た都会の若者五人組は、地元ガイドの制止も聞かず、森の禁忌を破り、奥まで入ってしまう。そこはペチと呼ばれる魔女が封印された禁断の場所であった。
インドのホラー映画はフォークホラーで一点突破するか
しつこいが、インドのホラーが嫌な怖さになりにくいのはなぜなのかと考えていくと、描写が弱いというところに尽きる気がしている。取り憑かれたらこれ!というお決まりのメイクと音楽で白けてしまう。意図的に怖くなくしているのではあるまいかと勘繰るレベルだ。特に雰囲気の似ているインドネシアホラーの暴走っぷりと比べてしまうと見劣りする。
しかし本作は、アメリカのB級ホラーを意識したような作りで、インド映画の十八番、長めの回想シーンを挟んでそれなりに怖く、嫌な映画になっていた。
いいなと思ったのは、森に入って行く若造たちが一人を除き大変感じが悪いということ。地元のガイドを馬鹿にしくさっている。こいつら皆死んでいいわ!?と思わせるのだ。
例外の一人というのは小太りで色黒なカメラマン青年ジェリー。臆病者だと皆からバカにされるポジション。むろん虐めるのは色白なそこそこの美男美女たち。青年の一人セドゥが特に性格悪いのだが、ハンサム受け口で性格の悪さを上塗り。ガイドをボコります(ひどい)。
私常々思っているのですが、「お前たち本当に友達なのかよ」と思うようなつるみが映画(みんな大好き『グーニーズ』ですらチャンクを馬鹿にすんなよと思っちゃう)に出て来ると引っかかるの。何でなんだろう。私の奔放かつランダムな言動に傷ついた人達は多数いても、自分はいじめられたこともないくせにサ。中途半端にいい子ぶりっこなのよ!それならいっそもっとぶりっ子しなさいよ!!元祖ぶりっ子の松田聖子と同じ出身地だっていつも自慢してるじゃないのアンタぁ…
インドホラーのもう一つの十八番は黒魔術。黒魔術の歴史も長く、儀式も随分深いものになっている(今考えれば、差別的かと思われた『インディー・ジョーンズ 魔宮の伝説』の儀式描写も案外的を得たものだったのかもしれない…)ので、フォークホラー=すなわちその土地に根差した嫌なものを題材にするにはうってつけだ。あとは、タイやインドネシアのホラーのように容赦なく観客の精神を追い詰めるだけ…。
本作は恐怖シーンもなかなかよかった。インドのホラーは低予算にもほどがあることが多いので、特撮やVFXが少ない方が却って雰囲気がいいことが多い。ベンガルやマラヤーラムのホラーは空気で怖がらせることを熟知しているように思われる。タミルホラーもそれに続きそうなのだが、今後が期待される。
③Kishkindha kaandam(インド、マラヤーラム語、2024年)
あらすじ
森林局に勤めるアジャイアンは最近再婚した。数年前に前妻は死去、息子は失踪していた。アジャイアンの父、アプ・ピッラは元軍人で厳しい人物。父の所持する銃のライセンス更新の日、銃がどうしても見つからない。実は父は記憶障害を患っているのだった。
東野圭吾ファンなら皆好きになる正統派家族サスペンス
本作は今年好調なマラヤーラム映画の中でもヒット作に入る模様。評判もよく、観て非常に満足した。
前回取り上げた『Ullozhukku』や『ジャパン・ロボット』等に共通するが、マラヤーラムのドラマは、日常の描写を積み重ね、最後、突拍子もなく、説明もつかない、不思議な運命に巻き込まれる人の心の機微を捉えるのが上手い。
本作は、記憶障害の父親、失意の中にある息子、それを紐解いていこうとする妻の3人を中心に描いている。
記憶障害であることを人に知られたくない、それを話題にすると激怒する父親というのは、日本でも既視感があった。
要介護の人間が家にいても、なかなか行政等の第三者の介入をさせたがらない人というのは身近でも知っている。恥の意識がそうさせるのだ。
インドにおいて既に形骸化している家紋の過去の栄光にすがろうとする人の哀しさと寂しさ。時代は移ろい、人は残されてしまう。マラヤーラム映画は心の秋風を見逃さない。
家族の隠したかった秘密、秘密を隠すためについた数々の嘘、それらが全て観客の心に入り込み、とてつもない哀しさに包まれる。嘘と生きる人はひどく孤独だ。
アジャイアンを演じたAshif Aliはマラヤーラム映画界のスター。あどけなさを感じさせる大きな瞳が人の心を揺さぶる。
「わしは自由だ。自分の望む記憶だけで生きられるんだから」と戸惑いながら独り言つ父親に縋り付いて泣く息子の哀しいこと。音楽も最高潮に盛り上がる。
あざとい作りではあるし、もうちょっと、第三者である妻の内面が判るような、妻の見せ場が欲しかった気もする。
が、この男性中心で、家族主義に起因する恥の意識が強く、外の人からの言葉に対し人が脆弱なインドでは、あのような遠慮と心配の控え目さにリアリティがあるのであろうし、蠢く好奇心を最小限に見せた演出でよかった気もする。
家族の秘密を暴くということは、家の外から来た妻がやってはならないことなのだろう。一方、最後、家族の秘密を共有した妻は、その嘘に付き合うことを条件に家に受け入れられたと見える。
家族を慮って仕方なく積み重ねられた嘘が巡り巡って、今日もまた嘘を生きる。家族・過去・運命は一体となって人を縛り、嘘をつかせる。
自分のためでもない嘘と生きることは幸せなのか。同伴者がいてくれたら少しは楽になれるのか。ラストのカットは彼らの顔を斜めから映している。彼らの旅の行き先は決まっていないのだ。
インド人の心理に触れ、その哀しさと幸せを描き出した本作、とても印象深かった。