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「逃げ」の調節

我慢ってしている最中に気付けないものですよね。
仕事を休んだ時もそうだった。早く気付けばよかったのに、気付けないからダメになってしまった。

最近、生きてる間ずっと我慢していたのかもしれない、とふと解き放たれるような感覚に陥った。


孤独感に襲われていた時は「誰にも頼れない」と嘆いていたのに、結局それも人間依存の呪縛に囚われていたからなのかな~と思うようになって少しスッキリした。
本当の意味で一人でも大丈夫って、分かったつもりでいただけで全然分かっていなかった。

一人でいてもどこかでずっと誰かの助けを求めていて、助けが無かったとしても大丈夫な忍耐力を持ち合わせることが一人でも大丈夫な状態だと思い込んでいた。
でもそれって結局何かを我慢している状態だからずっと肩に力が入っていて、疲れてしまうんだよね。それでたまに爆発して絶望したりする。

私を助けてくれる誰かはきっといると念じて自分の心を守っていたんだと思う。

良い意味で、その見えない誰かへの執着を捨てられたような、今はそんな気持ち。

人と比べないなんて無理な話だし、今でもとてつもない劣等感に襲われて心がざわざわと音を立ててしまうことばかりで、そういう時もあ~まだ私は人間に執着しているんだな~と思う。


人生に進んでるも遅れてるも、優れてるも劣ってるもないのに、人間というのは社会的に生かされすぎて他者を基準にしないと自分を見れないのだからもう、相対評価しないとかいう極論は無理。

だとしても、心が音を立ててしまう時はちゃんと頭が信号を出しているんだから素直にその信号を受信して、今できる最大限の距離の取り方ができればいいなと思った。


誰かと繋がっていないと怖くなるのは、この大SNS時代の利便性が生んだ恐ろしい副作用だなと思う。私も例に漏れずその症状を発症していて、なんだか現代病だったのかもしれないわね~みたいな気持ち。

生きていくにおいて、自分が出会うあらゆる事象に対して適切な距離を保つことって多分物凄く高度で、それを失敗せずにできる超人などいないと思うのだけれど、完璧じゃなくてもいいから、ざわざわしたら半歩下がったり、少し目を背けたり、そっと扉を閉めたり、そういう「逃げ」の調節が自分のリモコンで上手にできたらいいなと思う。


そんな感じで、最近はInstagramでは猫と犬と推しだけを見て、LINEはあまりしなくなりました。

アカウントという自分を纏ったり、文字や写真だけの伝達でひび割れや歪みを起こすくらいなら、本やラジオや音楽で少しだけ現実から遠いところに行きたい。今はきっとそういう時期なのだと思う。
自分自身が心から無理をせず心地よい場所を探しに行く時期なのだと思う。


変わらない人間はいないし、変わらない関係もない。
今はきっと自己にも他者にもあまりにも多くの変化を一気に受信しすぎて、気持ちの回路が混雑していて、きっとすごくそれが苦しい。誰だって苦しい。

苦しいを我慢せず、上手に逃げて自分と外の境界線をぐちゃぐちゃにせず、ふんわりとした、だけど乱れない輪郭を纏いながら呼吸をしていけたらいいな~と思う。


スキに囲まれて一人で過ごした時間。
大切なものを思い出せたようで嬉しかった。


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